お知らせ

2022.1.22

御影高校創立80周年記念式典・記念公演を挙行!

令和3年10月29日(金)神戸文化ホール・大ホール

令和3年10月29日、神戸文化ホールにおいて、「御影高校創立80周年記念式典・記念公演」が、壮大かつ厳粛に行なわれました。

学校、清明会、PTAの三者が、「創立80周年記念事業実行委員会」を結成し、道谷卓清明会会長が実行委員長になり、80周年記念事業を計画・実行していくことになり、その集大成としてこの式典・公演が挙行されました。当日は、同窓生でもある植松賢治東灘区長(高校33回生)や歴代校長先生をはじめ多くの来賓を迎えました。
 そして、全校生徒が参加しての盛大な会となりました。1部の式典では、中谷校長の式辞をはじめ、実行委員長の道谷会長の喜びのことばなど、重厚な雰囲気で進行し、2部の記念公演では、現役の生徒と卒業生の華やかな公演が行なわれました。なお、当日の詳細は、会報誌「清明」で報告する予定です。

清明会会長 35回生 道谷 卓

喜びのことば

兵庫県立御影高等学校創立80周年記念式典の挙行にあたり、創立80周年記念事業実行委員長、同窓会・清明会会長として一言お祝いの言葉を申し上げます。

兵庫県立御影高等学校、創立80周年おめでとうございます。本日は、母校・御影高校の創立80周年記念式典の挙行にあたり、西田教育次長、植松東灘区長、歴代の校長先生をはじめ多くのご来賓の方々にご出席いただき、誠に有難うございます。実行委員会を代表して、厚く御礼申し上げます。

母校・御影高校は、昭和16年(1941)に兵庫県立第三神戸高等女学校(県三)として産声をあげ、途中、昭和23年(1948)の学制改革に伴い、兵庫県立御影高等学校と校名が変更され、その翌年、日本一裕福な村として知られていた住吉村の村立住吉高等女学校を前身とする村立住吉高等学校を併合するなどの変遷を経て、今年がちょうど創立80周年という記念すべき年にあたります。壇上左手をご覧ください。一番左側が県三 3回生で、御影高校一回生の新垣サチ先輩です。新垣先輩は、県三から新制高校への過渡期を現役生として実体験され、卒業後は永く同窓会の副会長を務められ母校を見守っていただいています。そして新垣先輩の隣が現役の七五回生三好生徒会長です。1回生と現役生が並んでいる、これこそが母校80年の歴史そのものではないでしょうか。

(左)高校1回生(県三3回生)新垣サチ様
(右)高校75回生(現 生徒会長)三好芳佳さん

御影は、以前から教育熱心な地として知られ、明治時代中期には、後に柔道を世界的スポーツに広め、日本オリンピックの父と言われた御影出身の嘉納治五郎先生発案の「御影教育義会」がこの地域の教育の発展に大きく寄与していました。御影高校から中学校、小学校と幼稚園まで、旧御影町の町章をもとにした校章を持つ御影を冠する学校が半径300メートルの円内にすっぽりおさまり、この地域の教育活動を担っているという事実は、こうした歴史に裏打ちされたものでしょう。「文教の地・御影」たる所以です。しかしながら、母校がここ御影を安住の地とするまでには、苦難の道のりがありました。今の県庁の場所にあった県立第一神戸高等女学校(県一)の仮校舎でスタートしたあと、新校舎建設中の灘区勘太郎山に近い高羽国民学校(現・高羽小学校)に仮校舎を移し、建設中の新校舎の完成を心待ちにしていました。しかし、その思いもむなしく、昭和20年(1945)8月6日の神戸大空襲で完成間近の校舎は一瞬のうちに焼失してしまったのです。その日、宿直で高羽国民学校にいた恩賀校長先生は、その様子を呆然と見ていたそうです。行き場を失った母校は、この高羽国民学校に大変お世話になり、第一回卒業式も国民学校の講堂で行われました。このように今の高羽小学校と母校とは大きなつながりがあり、今回の式典には、高羽小学校の山口校長先生にもお越しいただいております。その後、母校は、勘太郎山に代わる安住の地を探さなければならず、紆余曲折の末、旧御影町の関係者や地域の方々のご厚意により、御影第二国民学校の跡地をあらたな校地とすることで、御影の地に母校が落ち着くことになりました。なお、この御影第二国民学校は、前述の嘉納治五郎ゆかりの地で、御影に帰省した時には、必ず第二国民学校の講堂で地域の人々に講演をおこなっていました。今、特別教室棟のそばに「御影第二小学校址」の碑がありますが、この碑は、母校と治五郎の接点を示す貴重な証です。なお、本日記念品としてお持ち帰りいただきます私が監修した「80周年記念誌」の中に、郷土史家の観点から、黎明期の沿革史として県三から御影高校設立の経緯を執筆しておりますので、後ほどご一読いただければ幸いです。

ところで、同窓会・清明会は母校創立後四年が経過した太平洋戦争下の昭和20年5月27日に、勤労動員中の宝塚国民学校で結成式が行われ、同じ年の八月一九日に宝塚の川面神社境内において第一回総会が開催されたことに端を発しています。そして、卒業生は、県三・1回生から今年卒業した73回生までで30,800人を超え、会員の方々も様々な分野で活躍しています。言い換えれば、母校80年の歴史は、同時に、卒業生が活躍してきた80年の歴史でもあるわけです。さきほどご紹介した80周年記念誌の中にも、これまで同窓会の会報誌で紹介したさまざまな分野の「達人」の同窓生を網羅的に掲載しております。こちらもあとでご一読いただければ幸いです。

母校の創立80周年、これは、卒業生である清明会の会員が母校での学びを糧に、様々な分野で活躍してきた80年でもあります。清明会は、会員の皆様方の絆を深めていくことを第一義にとらえ、そのことを通して母校を支援していく存在でありたいと考えております。創立100周年へむけての母校のさらなる飛躍と、同窓生の皆様のますますのご活躍をお祈りするとともに、母校と清明会へのご支援とご協力をお願いいたします。

令和3年10月29日
創立80周年記念事業実行委員会委員長・清明会会長  道谷 卓

式典後の司会  ラジオパーソナリティー 40回生 メメさん

また、創立80周年の記念品として、道谷会長監修による80周年記念誌『御影八十年史』、御影の松を描いた「扇子」、エコバック、クリアファイルを作成しました。

式典や記念品など今回の記念事業にかかる費用は全額、清明会とPTAで折半して拠出しており、清明会の支出分は特別会計の行事積立金から支出していることをご報告いたします。


80周年記念誌『御影八十年史』道谷会長監修

御影の松を描いた「扇子」

エコバック

クリアファイル