兵庫県立御影高等学校・同窓会「清明会」会報
2019年4月吉日発行

※画像をクリックして頂くと記事をご覧出来ます。
御影高校 清明会令和元年会報誌

御影高校 清明会 令和元年会報誌

御影高校 清明会 平成30年会報誌

目 次


ごあいさつ 清明会会長 道谷 卓(35 回生)
今年もお願いします  校長 谷本 公子
71回生の人柄 幹事代表 柴田 辰哉(71回生)
学年会、クラス会等の報告
11回生17回生21回生25回生 29回生39回生40回生69回生
平成30年度 清明会総会と第15回ホームカミングデイ
達人 中 寛三(13回生) (本名 中村 寛三)
達人 岩見 健二(18回生)
達人 村上 圭子(43回生)
達人 児島 雄一(43回生)
卒業生による講義 藤田(旧姓 金)純(40回生)FM COCORO DJ MEMEさん
「御影第二小学校趾」の碑と嘉納治五郎 清明会会長 道谷 卓
学年幹事の集い
同窓会清明会会員名簿発行について
募金(清明会活動基金)と購読のお願い
生徒活動後援会、ご協力のお願い
事務局からのお願い
編集後記
御影高校 清明会 令和元年会報誌

ごあいさつ
清明会会長 道谷 卓(35 回生)

 清明会会長、35回生の道谷卓です。平素は、清明会の活動と母校への支援にご協力をいただき、誠にありがとうございます。 今年度は、私の会長任期の2期目2年目となります。そして、なにより今年は清明会の生命線とも言える5年に一度の会員名簿の改定・発行の年に当たります。本会にとって最も重要な事業が無事完了できますよう、会長として責任をもって取り組んでまいりたいと思います。
  さて、清明会の活動は、母校創立後4年が経過した太平洋戦争下の昭和20年(1945)5月27日に、勤労動員中の宝塚国民学校で結成式が行われ、同じ年の8月19日に宝塚の川面神社境内において第1回総会が開催されたことに端を発しています。会の発足当初、初代から4代目までは校長先生が会長を兼務されるという体制が続き、同窓生が会長に就任したのは、発足後8年が経過した昭和28年(1953)8月のことでした。県三1回生の高島(旧姓・横田)典子さんが、同窓生としてはじめて第5代会長に就任されたのが卒業生会長としてのはじまりです。そして、会発足からかぞえて、現在の私が第14代目の会長ということになります。清明会は、この3月に卒業した71回生を加え、30,500人を超える大きな組織として発展しており、会員の方々も様々な分野で活躍しています。

 

 ところで、今年の大河ドラマ「いだてん」に登場する役所広司さん演ずる柔道の父・日本五輪の父として知られる嘉納治五郎は、母校のある御影の出身だということはあまり知られていません。それ以上に、母校・御影高校の場所にあった御影第二小学校で治五郎がしばしば、講演や講話を行ったということを知る人はほとんどいないように思います。治五郎と御影第二小学校の関係については、本誌11頁にまとめていますので、ご参照ください。
 繰り返しになりますが、今年は5年に一度の会員名簿の発行を行いますので、刊行に向けての基礎データ調査や協賛広告の募集、名簿購入など様々なご依頼をすることになりますので、ご協力のほどお願い申し上げます。また、名簿刊行に加え、「文教の地・御影」の中心的存在として発展してきた母校が元の学区からはもとより、学区再編で広がった学区のすべての地域から受験生に選んでもらえる高校で有り続けるよう、清明会は最大限の支援をしていきたいと思います。
 清明会は、会員の皆様方の絆を深めていくことを第一義にとらえ、そのことを通して母校を支援していく存在でありたいと考えております。最後になりましたが、会員のみなさまにおかれましては、同窓会活動に対して一層のご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

御影高校 清明会 令和元年会報誌
御影高校 清明会 令和元年会報誌

今年もお願いします校長
校長 谷本 公子

 昨年度もお世話になりました。3月末で定年を迎えましたが思いが残り、再任用となりました。引き続き御影高校に勤務しますので、どうぞよろしくお願いします。 3年前、本校赴任直前に聴いた“御影サウンド”の会場の雰囲気に魅せられたのがスタート。誠実でひたむきに生きる生徒達と楽しく過ごしてきました。
 しかし、先行き不透明な時代に今の姿勢だけでなく「グローバルな発想や創造力」「意見が異なる人と共働する柔軟な対応力」を身に着けてほしいと、昨年度、ひょうごスーパーハイスクール(HSH)指定校に応募しました。

シアトル語学研修における現地での探究活動
サモア独立国の2高校とのスカイプによる異文化交流
「世界の今を考える」シンポジウム
卒業生が案内する「関空バックヤードツアー」
「 ICT最先端企業でのAI体験」フィールドワーク
「 世界の紛争と平和構築の最前線」を学ぶ講演会
「 自動運転が拓く未来の社会」講演会 等

 

 特にサモアの高校2校とのスカイプでは「鳥のさえずりが聞こえる!」「時間の流れが違う!」「フレンドリーで、英語や日本語で会話できるよ!」等、異なる文化を持つ人と新たな関係が築け、大変賑やかでした。
 その様子を見ていて、できれば、現地の空気を吸い、風を感じ、自分の目で見て聞いて、何かを感じ、気づき、学んでほしいと思いました。 今よりもっと変化の激しい時代にあっても、失敗を恐れず、挑戦し続ける力を身につけてほしいという思いは常に持っています。そのために、 私たち教職員ができることは何か、もう少しこの御影の地で考え、精一杯働きたいと思いますので、一層のご理解とご支援をお願いします。
 最後に、清明会のますますのご発展と、会員の皆様のご活躍・ご健勝を祈念いたしまして挨拶とさせていただきます。

御影高校 清明会 令和元年会報誌
御影高校 清明会 令和元年会報誌

71回生の人柄
幹事代表 柴田 辰哉(71回生)

 僕たち71回生は、2月28日をもって、御影高校を卒業しました。 この三年間、多くの方々に支えていただき、充実した楽しい学校生活を送ることができました。目の前にある行事や目標に向かって一生懸命に取り組み、また楽しんだ71回生の姿。みんな生き生きとしていました。仲間の誰かが頑張っている時に自然と応援したり、手を差し伸べたりできる71回生。強い絆を感じました。
 そして実際に僕自身も、勉強と部活動の両方において周りの人たちから良い刺激を受け、互いに高めあうことができました。

 

 先生方も、僕たちのためにたくさんの努力をしてくださいました。勉強の分からないところや進路の相談でも親切に対応していただき、気持ちの面で何度も救われました。
 御影高校で出会った仲間や先生方には、感謝しきれないほど感謝しています。改めて、今まで本当にありがとうございました。清明会の会員となった今、御影高校で培った経験を活かし、仲間や先生方に恵まれたことへの感謝の気持ちを忘れずに、それぞれの目指す新天地へと進んで行きたいと思います。

御影高校 清明会 令和元年会報誌

学年会、クラス会等の報告


11回生同期会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年10月19日(金)
新神戸ホテル 出席者40名


 平成30年10月19日(金)の同期会には40名が新神戸のホテルに参集しました。昨年のホームカミング・イヤーでの参加者からは2割ほど少なくなりましたが、それでも久しぶりの再会で賑やかな歓談を行いました。特に数十年ぶりに参加したメンバーも数名おり、懐かしさもひとしおの同期会でした。
 高齢者の集団になってきました私達ですがまだまだ元気にこの集まりを継続しようと話し合い、最後に全員大きな声で校歌を斉唱して閉会しました。 報告 曽野 健三平成30年10月19日(金)の同期会には40名が新神戸のホテルに参集しました。昨年のホームカミング・イヤーでの参加者からは2割ほど少なくなりましたが、それでも久しぶりの再会で賑やかな歓談を行いました。特に数十年ぶりに参加したメンバーも数名おり、懐かしさもひとしおの同期会でした。
 高齢者の集団になってきました私達ですがまだまだ元気にこの集まりを継続しようと話し合い、最後に全員大きな声で校歌を斉唱して閉会しました。

報告 曽野 健三
御影高校 清明会 令和元年会報誌

17回生学年会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年6月3日(日)
神戸貿易センタービル24階 ステラコート
出席者50名



 還暦同窓会として始まった17回学年会もはや11回目となり、6月第一日曜の恒例行事となりました。今年は参加者が50名、八割方が常連さんになってしまいましたが、それでも初参加が3名来てくれました。先生方では今年も90歳になられた半田先生が参加して下さいました。
 さて、今年の出し物は小比賀政士君監修による「おぼえていますかPAPT」のDVD、参加者の在学時代の通学方法を調べ、阪神、阪急、阪国バス(銀バス)、市電(終 点石屋川)、徒歩に分け当時の駅と今の駅の比較等なつかしく思い出させてくれました。次に現在の校舎、通学時代にはなかったプールを始めとする新しい建物を紹介し 食堂では当時25円だったきつねうどんの価額210円には思わず声が上がりました。
 次に彫刻家として活躍されている「植松奎二」君の作品紹介のDVDを放映し、改めてその作品を知り、神戸市内の思わぬところにある作品が展示されていることを知りびっくりした次第です。
 そのあとも飛び入りで齋仁美さんのパフォーマンス等もありいつもに増して盛り上り、あっという間の三時間でした。 その後の二次会へも半数以上の27名が参加し、しゃべり足りなかった分をおおいに補い 来年の再会を期して解散しました。最後に一言「皆本当に元気!」というのが感想でした。

報告 渋谷 正明
御影高校 清明会 令和元年会報誌

21回生同窓会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年4月21日(土)
グリーンヒルホテル神戸
参加者:110名

 代表幹事 車谷満男さんのご挨拶、恩師のご挨拶、幹事 安谷満喜子さんの乾杯。司会は有持繁さん。15年ぶりに藤原先生、半田先生、先生の3名を含む110名が集まった。男子71名、女子36名。 北田博則さん&布廣健次さんらのおっさんバンドの演奏はプロ級! ホテルのブッフェも豪華で美味しい、お酒は銘酒が飲み放題。 全体写真は無理なので3組に分けて撮影。 3時間があっという間に過ぎ。最後は校歌斉唱で解散。
 同じ会場で40名位残って二次会のカラオケスタート。プロのオペラ歌手矢野さんも飛び入り。素敵な声。最後は高校3年生を全員で歌って締めました。3年後に全員の古希祝い同窓会をやります!!

報告 安谷 満喜子
御影高校 清明会 令和元年会報誌

25回生同窓会

御影高校 清明会 令和元年会報誌


平成30年4月29日(月)
収穫祭三宮店  出席者61名


 平成30年4月29日に第10回目の同窓会を三宮収穫祭で行いました。参加者は61名、先生は城先生、加治先生、山本先生が来てくださいました。 今回幹事長の妹尾君がお勤めのところで造っているスパークリングのお酒を乾杯の ために持って来て下さり、城先生の音頭で乾杯。とても口当たりの良いお酒を楽しみました。
 2年に1度の同窓会ですが、お互いに年を取ったと言いながらも楽しく過ごしました。 次回は、毎回写真係をして下さっている谷川君が幹事長になり、2年後に元気に会えることを約束して、それぞれ2次会に流れていきました。今回、参加出来なかった同窓生の皆様、谷川君が学年のホームページをリニューアルしてくれてますので、 ご覧ください。2年後にお会いできることを楽しみにしています。

報告 中島 成子
御影高校 清明会 令和元年会報誌

29回生同窓会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年10月7日(日) 神戸・神仙閣 出席者100名以上 恩師4名

  私たち29回生の学年同窓会は今回で6回目を数えます。4年に一度、ワールドカップ開催の年に行うのが決まりとなり、29回生で知らない人はいないようになりました。今回は還暦記念ということで今まで以上に多くの仲間に参加してもらいたいと、名簿の整理の徹底や連絡方法の工夫、会場設定の検討など時間をかけて準備しました。その結果今までで一番多くの100名以上の参加と4名の恩師の先生を迎え、神戸・神仙閣で楽しく・懐かしい時間を過ごすことができました。
 これからも4年ごとにずっと続けていきたいと思います。今回残念ながら参加されなかった方は次回是非!2022年です!

報告 泉川 謹之助
御影高校 清明会 令和元年会報誌

39回生同窓会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年6月10日(土)
神戸三宮 スポーツ・カフェバー「 スポルテリア」
出席者56名


 2018年6月10日(日)15:00より同級生が営むスポーツバー「スポルテリア」にて 39回生の学年同窓会が開催されました。
 50歳を迎える記念の年にホームカミングディの 招待学年に当たり、ホームカミングディの熱気が冷めやらぬ中で二次会を兼ねての同窓会 となりました。 総勢56名が参加と、恩師はホームカミングディからの引き続きで英語の 樋口先生がご出席され、乾杯の音頭や在校当時には聞けなかった楽しいトークで会場は 大盛り上がりとなりました。
 東京や愛媛など遠方から卒業以来初めて参加された方もあり、 思い出に残る1日となりました。

報告 小林 進
御影高校 清明会 令和元年会報誌

40回生同窓会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年6月10日(土)
ベルクラシック神戸 出席者21名

 6月10日、清明会総会・ホームカミングデイの後、ベルクラシック神戸にて 40回生の二次会を行いました。 総会に引き続き21名の皆様にご参加いただきました。 ありがとうございました。

報告 大塚 康弘
御影高校 清明会 令和元年会報誌

69回生同窓会

御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成31年1月13日(土)
神戸ベイシェラトンホテル 3階大宴会場六甲 出席者260名

 2019年1月13日に神戸ベイシェラトンホテルにて、総勢260名で69回生の同窓会を開催致しました。 同窓会を迎えるにあたり大変なこともありましたが、各クラスの幹事と力を合わせて無事に開催することができました。またホテルの方々には大変お世話になりました。
 当日は8名の先生にお越しいただきました。そして、お越しになれなかった先生方からはビデオメッセージをサプライズでいただきました。大変嬉しかったです。 卒業後久しぶりに再会する友人たちや先生方と近況を語り合うことができ、楽しい時間を過ごせたと思います。 またの再会を楽しみにしたいです。

報告 藪内 美登里
御影高校 清明会 令和元年会報誌
 

上記以外にも、たくさんの同窓会が行われています。清明会ホームページにも掲載されています。

加治組 平成30年11月18日 加治組合同クラス会報告
14回生 平成30年10月21日 14回生関東地区同期会
41回生 平成30年10月4日 41回生同窓会報告
18回生 平成30年4月8日 18回生同窓会報告
14回生 平成30年1月30日 14回生同窓会報告
68回生 平成30年1月6日 68回同窓会報告
33回生 平成29年11月26日 33回生横田学級会報告
15回生 平成29年11月16日 15回生同期のつどい報告
33回生 平成29年11月6日 33回生同窓会報告
14回生 平成29年10月15日 14回生関東地区同期会報告
23回生 平成29年10月14日 23回生同窓会報告
27回生 平成29年10月7日 27回生同窓会報告
4回生 平成29年10月1日 4回生 ふとなろ会
20回生 平成29年9月23日 20回(はたちの会)同期会報告
34回生 平成29年9月16日 34回生学年会
11回生 平成29年6月4日 11回生同期会
17回生 平成29年6月4日 17回生学年会
32回生 平成29年4月29日 32回生3年4組クラス同窓会
67回生 平成29年1月7日 67回生同窓会
 
御影高校 清明会 令和元年会報誌

平成30年度 清明会総会 懇親会・第15回ホームカミングデイ

 平成30年度清明会総会・第15回ホームカミングデイ  平成30年度の総会6月10日(日)午前11時から、生田神社会館4階におきまして清明会総会・第15回ホームカミングデイ(県三から高校4回生、定6・7回生、高13・14回生、高39・40回生を招待)を開催いたし、会場には約235名の方々が集って頂きありがとうございました。恩師も一緒になって同窓生と共に交流を楽しんで頂きました。
 道谷会長により、十数年清明会事務局にて多大なる発展向上にご尽力をして頂いた草場さんの退任伴うお礼の言葉と花束が贈呈されました。 また、昨年度から清明会事務局事務局員として森本さん (元PTA会長・前松影会会長)に引き継ぎをしていただいている事が説明されました。

平成30年度 清明会総会 懇親会・第15回ホームカミングデイ


平成30年度 清明会総会 懇親会・第15回ホームカミングデイ
御影高校 清明会 令和元年会報誌


御影高校 清明会 令和元年会報誌

新劇ひとすじ
中 寛三(13回生) (本名 中村 寛三)
劇団俳優座 演技部所属

御影高校 清明会 令和元年会報誌

 俳優と言うと聞こえは良い(?)が、新劇俳優である。河原乞食である。
 今年届いた年賀状の中に、「我々の年齢で現役なのは君だけ…」なんてのがあった。在学時代生徒会長だった原一彦君からだ。私から見ると、働かなくても良い人が羨ましくてしようがない。「好きな事やって生きている…」と言われるかも知れないが、好きな役、遣り甲斐のある役ばかりではない。逃げ出したくなることだって少なくない。今日まで続けて来られたのが不思議だ。
 御影を卒業して、役者になりたくて上京し、たまたま受けた劇団青年座に合格し、一週間後の配役発表で準主役に抜擢された。前の年、社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢がモデルの右翼少年役だった。
 思えば運命的とも言える役との出会いである。1960年10月12日、十八歳の誕生日を迎えた私は、友人数人と御影高の学食にいた。大洋×大毎のプロ野球日本シリーズをテレビ観戦していた時だ。突如、実況を中断して日比谷公会堂の刺殺シーンが飛び込んできた。多感な我々にはあまりに衝撃的過ぎる画像だった。その日が自分の誕生日でなければここまで興奮しなかったかも知れないが、ナント…、初舞台がその刺客の役である。その役のために若い私が必要だったのだ。お陰でその年の新劇演技新人賞にノミネートされ、本受賞こそ逃したものの、その後の仕事には恵まれた。俳優座の俳優養成所に入ることが出来たのも、卒業後劇団俳優座の一員に残ることが出来たのも、その舞台があったからだ。
 御影を卒業して数年後…後輩たちが演劇コンクール全国大会に横浜までやって来た。私が作品を紹介した椎名麟三作《天国への遠征》で予選を勝ち抜いて来たのだ。台本を送っただけで稽古は見ていない私だったが、コンクールでの出来栄えは出色だった。結果は予 想通り【最優秀賞】であった。
 御多分に漏れず、この歳になると病との戦いがある。四年前「胆管癌」の手術を受け、人生初めての舞台降板と言う不名誉な経験もした。まだまだ経過観察中の身ではあるが、この夏四年ぶりに東京六本木の舞台にも立つ。四年のブランクで衰えた脳細胞は、膨大な台詞を覚えられるか不安ではある。しかし、役者は死ぬまでチャレンジだろう。我が座の女優岩崎加根子と『かなの会』と言う朗読中心の会を起ち上げ八年になる。二人合わせて164歳!まだまだ現役である。
 (蛇足)……テレビに出るのは昔からそれほどの興味はなかったが、生活のためには嫌がってばかりはいられない。ドラマにもバラエティーにも時に出演することだってある。昨年十一月で終了したがTV-CMにも久し振りに顔出ししてその反響の大きさに改めて驚かされた。頭にアンテナを立てた不思議な家族をご覧になった方もおられるかも知れない。む?と思われる方は、YouTubeで【ソフトバンクアンテナCM】で検索なさると今でも見ることが出来るかもしれない(?)
御影高校 清明会 令和元年会報誌
御影高校 清明会 令和元年会報誌

Profile

Profile 1961年4月劇団青年座入団。翌‘62年俳優座演劇研究所付属俳優養成所第14期入所。‘67年卒業。同年4月劇団俳優座入団。初舞台…青年座《昭和の子供》右翼少年伊藤勝役。俳優座での主な舞台…ドストエフスキー作《カラマーゾフの兄弟》スメルジャコフ、シェークスピア作《恋のから騒ぎ》レオナート。神戸公演では《自由少年》《ルル》《守銭奴》《門・わが愛》《巨人の帽子》《ロボット》他。最近は朗読を主に活動しており【岩崎加根子『かなの会』】と【中寛三の朗読独演会『5SUN』】を主宰している。前者では7年前に谷崎潤一郎作《春琴抄》で小説の舞台大阪船場の御霊神社でも上演した。


御影高校 清明会 令和元年会報誌
御影高校 清明会 令和元年会報誌

御影高校 清明会 令和元年会報誌
「刻」
岩見 健二(18回生) 画家
 

 所属している主体展へは比較的メッセージ性を意識した作品を出品し、毎年開催している個展にはパリの風景を発表している。  行く度に感動と発見のあるパリでの取材であるが、数年前裏通りで年配のご婦人に「〇〇病院へ行くにはどう行ったらいいの?」と尋ねられ「私は日本人なので分かりません」と答えたら、ご婦人は納得して行き去った。フランス語が出来ない私が何語で何故会話が出来たのだろうと今でも不思議でならない。 放射線状に張り巡らされたパリの交差点では目の前に数本の道が現れる。その一本を選んで進んだら必ずと言っていいほど素晴らしい風景が待っていてくれる。「他の道の方にもっといい風景があったかも」と弟は言うのだが…。  中学校への登校途中、親友に「僕は大きくなったら経済学者になる!お前は何になるんや?」と聞かれ、とっさに「画家になる」という言葉を発した。その時、自分に自分が驚くと同時に何かが一つ開けたように思えた。小学校5年生の時に百貨店で見た佐伯祐三のパリの絵から受けた衝撃が心に残っていたのであろう。この私の言葉を現実に導いて下さったのが御影高校美術担当の中久木康夫先生であった。京都市立美術大学受験に失敗した浪人の私に東京の研究所を紹介して下さり、その上当時芸大生でいらしたご子息の下宿に同居させて頂いた。半年後そのひとかたならぬご厚意のお陰で武蔵野美術大学に入学。  あれから50年余り、目の前の道を選択するとき、数知れぬ多くの方々が進むべき道を照らし導いて下さった。その一瞬一瞬の連続で今に至っている。  母校に展示していただいている作品の題名は、その一瞬一瞬の「刻」である。


Profile

1947 大阪市に生まれる
1966 兵庫県立御影高等学校卒業
1971 武蔵野美術大学卒業
1972 第8回主体展出品 以後毎回出品  佳作作家賞4回受賞
1975 個展 (以後現在まで135回開催)
1980 文化庁現代美術選抜展出品
1982 安井賞展 賞候補 国際形象展出品
1986 国際形象展出品
1987 安井賞展入選
1992 青木繁記念大賞展入選
1994 兵庫県半どんの会文化賞受賞
小磯良平大賞展入選
神戸市 作品買い上げ
文化庁現代美術選抜展出品
2013 東京都美術館ベストセレクション2013出品
現 在 主体美術協会会員・神戸芸術文化会議会員 ・ 兵庫県美育作家協会会員
兵庫大学短期大学部名誉教授

御影高校 清明会 令和元年会報誌



なぜ私は描くのか ―

村上 圭子(43回生)
画家

御影高校 清明会 令和元年会報誌

 影高校卒業後は、親の理解が得られず、美術の道でなく女子大へ進学しました。卒業当時は阪神淡路大震災の時期で、震災関係の仕事を暫くした後、結婚を機に広島へ移り住みました。家事と仕事の両立の毎日でした。2000年に離婚し、神戸に戻りました。今度こそ芸術関係の仕事をと考え、職を探しましたが、美大卒業でない私は面接すら受けれませんでした。結局また諦め、役所関連の職場で働くようになりましたが、結婚当時の精神的苦痛はフラッシュバックするし、芸術への気持ちを抱きつつも、思いとは裏腹の仕事を続けてるうちに体調はままならず、不安神経症になってしまいました。何かの拍子に思考と体が動かなくなるのです。それでも心療内科の薬を飲みながら働いてました。
 「なぜ私は生まれてきたのか」を幼い頃から考えているようなこどもでした。自分の存在の意味が分からず、自分の居場所が何処にもないと暗闇をもがき苦しんでいました。いよいよ精神的病気が酷くなり、人混みや密閉空間で体調の変化が著しく、仕事を続けるのが困難になり辞めました。結局十数年苦しみました。
 私の住む家の近くに住吉川があり、仕事も人との関わりも絶った私は、そこで廻る季節と共に変化してゆく風景を見つめながら徐々に自分を取り戻していきました。世間の概念や誰かの望む私でなく、私自身を生きようと心に決めたのです。私を救ってくれたこの場所で受け取ったものを絵で表現しようと。
 兎に角一歩前へ。作品がいつか認められ、人の心に響く魅力的な作品が創れるようになれば、これまでの経験を憎む気持ちから自由になれるかもしれない、赦せるかもしれないと。何年かかるともどうなるとも保証はないけれど、暗闇から私は自分を開放するのに必死でした。試行錯誤、がむしゃらでした。
 川の流れやきらきらした水面、苔むした石、樹木の幹などに想いを馳せるなかで「生きるとは」「人としてありたい私」について語りかけてくれたことを「森の鼓動」というテーマの作品として制作するようになりました。
 当時の絵画教室の先生の勧めもあり、趣味から本格的な活動へとなり、何の繋がりもなかった私が、徐々に素晴らしい出逢いや発表する機会に恵まるようになり、コスチュームのデッサンモデルを務めるようにもなりました。あちこちで依頼されるようになり、私のモデルの作品がギャラリー等で展示される事も多くなりました。そうなるまでは、心が折れそうになる都度に、私の覚悟を試されてるのだと考え、ひとり戦ってきました。
 現在は家族の理解と支えがあり、また良き理解者や応援して下さる方々に恵まれていることに感謝しつつ、また一歩、「未来のわたし」に向かって日々の積み重ねを大切に、精進して参りたいと思っています。

今後の活動予定
2019年4月11日~16日 神戸の百人色紙展 さんちかホール
4月16日~21日 断片‐16展 ギャラリーSHIMA
5月14日~19日 兵庫県美術家同盟展 原田の森ギャラリー本館 東館
5月18日~26日 十の会テーマ作品展 洲本市民工房ギャラリー
7月24日~28日 遊友結展 (三人展) 原田の森ギャラリー東館1F
10月 こうべ芸文美術展 原田の森ギャラリー本館

御影高校 清明会 令和元年会報誌

Profile

1973年 生まれ
1991年 兵庫県立御影高校卒業
1995年 神戸親和女子大学文学部児童教育学科卒業
2007年~ 制作活動開始
2012年 兵庫県議会議長賞 第3席(第53回兵庫県美術家同盟展初出品) 兵庫県信用保証協会月刊誌12月号表紙掲載
2013年 神戸市会議長賞(第54回兵庫県美術家同盟展)
2014年 兵庫県美術家同盟賞 第1席(第55回兵庫県美術家同盟展) 兵庫県美術家同盟会員推挙
2015年 個展 森の鼓動―心に落ちた想いの欠片― ギャラリー花六甲 (初個展 第55回兵庫県美術家同盟展副賞)
2016年 神戸芸術文化会議会員(こうべ芸文)
2017年 個展 森の鼓動―blanc bleu― トアギャラリー

御影高校 清明会 令和元年会報誌
御影高校 清明会 令和元年会報誌

『笑い合っていた日々』

児島 雄一(43回生)
シス・カンパニー所属
俳優 マギー

御影高校 清明会 令和元年会報誌

 もう30年前になりますが、初めて御影高校を見学に行った夕方のことを鮮明に覚えています。グラウンドを駆け回る運動部の先輩たち、男子も女子も活発に声を掛け、笑い合う姿がイキイキと輝いて見えた、高校生活の幕開けの忘れがたきワンシーンです。
 入学後、私はサッカー部に所属したものの、あまりのレベルの高さに三軍となり一年で退部、以降はバンド活動や試験勉強に明け暮れました。中でも一番の財産は、運動ができること、カッコいいこと、モテることではなく、「オモロいこと」を最優先とするセンスの友人たち、当時の言葉で言うと“チョケた奴ら”と、何をするにおいても競って笑いを求めて過ごした、あの日々です。小学校の頃から芸能界に憧れていた自分にとって、友人たちと“笑い”でしのぎを削った教室はステージのようでした。そして実際のステージでのバンド演奏や、クイズ大会やフィーリングカップルの司会をやった文化祭の前日の高揚感と当日の達成感もまた、鮮明に焼き付いているワンシーンです。 そんな毎日の中、いつしか『東京に行って舞台でオモロいことをやってみたい!』という決意を固めました。
 そして一年の浪人という(これも大切な)寄り道を経て、関西と東京の大学に合格し、迷いなく上京を選びました。
 大学で高校時代の友人たちのように「オモロイこと」を最優先する仲間とともに『ジョビジョバ』を結成。運に恵まれ大学時代から東京の演劇シーンで話題となり、卒業とともにプロとして活動の幅もTVへと広がり、なんやかんやで現在も俳優・脚本家として、小学校からの夢だった世界に身を置いています。
 自分の好きなことが仕事になって四半世紀、もちろん楽なことだけではありませんが、今もずっとこの仕事が好きでいられる理由は、センスを共有できる仕事仲間たちと、まさに文化祭のステージで味わったような高揚感や達成感を未だに繰り返しているからだと思います。ずっと文化祭の前日と当日・・・こう書くと高校生からひとつも成長していないようですが、あの日々が今の自分の源流になっているのは間違いありません。
 ただ笑い合っていた日々さえも将来の自分を支える礎になり得る高校生活。すべての同窓生、そしてこれから入学する未来の同窓生たちにも、御影高校が人生の素敵なワンシーンのステージになることを祈っております。

御影高校 清明会 令和元年会報誌


Profile

1993年・男6人組のお笑いユニット「ジョビジョバ」を結成。以降、ライブ活動を中心にTV、ラジオ、映画と幅広く活動。リーダーとして全公演の作・演出を務める。2003年より俳優、脚本家としてのソロ活動を開始、近年の出演作品に『99.9—刑事専門弁護士』シリーズ、『嘘の戦争』『絶対零度』、脚本作品に『臨床犯罪学者・火村英生の推理』『カンナさーん!』などがある。


御影高校 清明会 令和元年会報誌


卒業生による講義

藤田(旧姓 金)純(40回生)

第6回「ことばの力」シンポジウムで、藤田 純氏(40回生・F M C O C O L O D J M E M E さん)が講演

平成30年12月14日講演 第6回「ことばの力」シンポジウム
 
 平成30年12月14日(金)に御影公会堂において、総合人文コース 生徒を対象に第6回「ことばの力」シンポジウムが開催されました。
 大阪南森町にあるF M C O C O L O のD J M E M E さん(藤田 純氏 40回生)に今までの人生の中で大きな3つのチャンスの話を楽しく分かりやすく講演していただきました。
 1つ目のチャンスは高校時代、部活動に明け暮れる日々、授業も寝ている状態であまり聞いておらず、成績はあまり良くない状態だったのですが、指定校推薦を受けるためにはなんとしても3年生は良い成績を取らなくてはいけないと必死に努力し、その結果指定校推薦が受けられるようになったこと。
 2つ目のチャンスは阪神淡路大震災後、アメリカから帰国した際に知人から中国語と英語と日本語のできるラジオD J を探していると言われて紹介され、自身華僑の3世(神戸中華同文学校出身)ということもありましたが全くD J の経験もないままオーディションを受け、その2週間後にはパーソナリティーとして番組を持つようになったこと。
 3つ目のチャンスはD J としての経験をしていく中で、世界的に有名なミュージシャンが来日コンサートした際に、移動中の車から電話インタビューを受けるか否かで、思わず「私、その人得意です!」と言ってインタビューができるようになったことを、その貴重なインタビュー音源まで聞かせていただきました。
 情報であふれる現代、実際にある場所に行ってみる、ライブを見てみるということがこれからの人生にいかに大事かということも力強く言われました。
 その後、4人の生徒にD J体験ということで、各々が選んだ曲をM E M Eさん指導のもとに紹介する時間があり、休憩後にパネルディスカッションが行われ、生徒たちも大変満足した様子でした。
報告 大塚康弘常任幹事(40回生)
御影高校 清明会 令和元年会報誌

「御影第二小学校趾」の碑と嘉納治五郎

「御影第二小学校趾」の碑と嘉納治五郎
清明会会長 道谷 卓
(姫路獨協大学副学長・神戸深江生活文化史料館副館長)
 母校の特別教室棟の西側に「御影第二小学校趾」の碑が建てられている。御影高校の今の校地は、もともと御影町立御影第二小学校(御影第二国民学校)があった場所である。この御影第二小学校は、1919年(大正8)12月21日に設置された学校で、1945年(昭和20)11月1日に当時の御影第一国民学校(現在の神戸市立御影小学校)と合併され閉校になった。この記念碑は、小学校設置70周年記念の年(1989年)に同窓会が建立したものである。 御影高校は、前身の県立第三神戸高等女学校が1948年(昭和23)4月1日に新制高校となり、その年の6月1日に現在地、すなわち、もとの御影第二小学校の場所に、復興移転したのであった。そのため、移転当初は、第二小学校時代の鉄筋校舎(1923年竣工)等を再利用していた。
今でも、国道2号に面した南側のブロック塀の礎石に使われている石垣は、第二小学校時代の石垣の名残で、石垣の列の中央部分が一部欠けているところがあるが、その部分が、小学校時代の正門があった場所だ。
 御影高校の前にあった御影第二小学校、実は、嘉納治五郎ゆかりの地でもある。治五郎は、今年の大河ドラマ「いだてん」で役所広司さんが演じている人物と言った方がわかりやすいかもしれない。嘉納治五郎は1860年(万延元)10月28日、摂津国菟原郡御影村浜東(兵庫県武庫郡御影町御影字浜東<現在の神戸市東灘区御影本町1丁目>)で誕生、10歳まで御影で暮らしたあと、父とともに東京に転居する。講道館柔道を創設し、東京高等師範学校(現・筑波大学)の校長を長く務め、東洋初のI O C 委員として戦前の東京オリンピック招致(1940年開催予定)を成功(戦争の激化で開催を断念)させるなど、「柔道の父」「日本五輪の父」として知られる人物である。治五郎は、柔道を志す者であれば世界のどこに行っても通用する日本人と言っても過言でない、まさに、御影が生んだ世界的な偉人である。
 治五郎は、60歳を過ぎたころから、1年のうちに何度も故郷の御影周辺を訪れ、地元の人々と交流を深めている。彼は、柔道を普及させるため講道館文化会を作り、その支部を全国に展開していくのだが、中でも生まれ故郷にできた御影支部への思い入れは相当なもので、御影支部の総会には毎年臨席して講演や講話を行っている。そして、この御影支部の総会を行った場所が、御影第二小学校、つまり、今の母校なのである。なかでも、1926年(大正15)4月13日開催の支部総会で、治五郎自身が発案した「攻防式国民体育」の自らの実演と講演を行ない、また、11月25日には支部主催の講演会で御影町の町民を中心に400人以上の聴衆者が治五郎の話に耳を傾けたという記録が残っている。 治五郎が講演を行った回数の一番多い場所は、学校創設に尽力し開校当時顧問になっていた灘中学校であるが、その次に講演会数の多い場所が、御影第二小学校、つまり、今の御影高校なのである。
 小学校時代に建てられた北側の鉄筋校舎は、嘉納治五郎も足を運んだ建物で、この校舎で高校生活を過ごされた会員の方も多いのではないかと思う。母校のある場所、ここは御影が生んだ偉人・嘉納治五郎ゆかりの地なのである。

参考文献:道谷卓『御影が生んだ偉人 嘉納治五郎』(2018年)
(本書は、神戸市東灘区役所の下記ホームページか らダウンロードが可能です。
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/kuyakusho/higashinada/shoukai/shoukai/kanojigoro.html

御影高校 清明会 令和元年会報誌

学年幹事の集い

 今後の清明会の発展に向けて40回生代以降の学年幹事の活性化を図るため、 初めての試みで「平成卒業学年幹事の集い」が開催されました。 当日は神戸三宮にあるPizza Terrace Regare(35回生の方がオーナーのお店)にて道谷会長をはじめ初めて参加された学年幹事を含め10名が集い、御影高校 への思いを語り合いました。 今後もこのような機会をきっかけに、清明会の活動に関わって頂ける学年幹事が増えることが期待されます。
  副会長 小林 進

御影高校 清明会 令和元年会報誌

同窓会清明会会員名簿発行について

 
 清明会も2019年3月には、71回生を迎え入れ会員数も30,500名を数えるまでとなりました。清明会では活動の基盤となる会員名簿を5年毎に更新しております。個人情報保護に配慮しつつも、その名簿をより正確にし、更なる同窓会活動の活性化に役立てて行きたいと役員会にて会員名簿の発行を決定いたしました。会員の皆様の名簿購入、広告掲載に是非ご協力をお願い申し上げます。母校の発展と会員の皆様の益々のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
兵庫県立御影高等学校同窓会清明会 会長 道谷 卓
 
名簿・賛助金のご予約について
予約価格 1冊 3,000 円(送料・税込み)
賛助金 1口 10,000 円(名簿1冊進呈・巻末の芳名録に氏名と卒回を掲載)
仕 様 2019 年までの卒業生約30,500 名、現・旧教職員名簿、口絵写真及び50 音別総索引、広告を収録
発 行 2019 年11 月末予定(発送は2019 年12 月予定)
名簿をお申し込みの方は、同封の振込用紙をご利用の上お支払いをお願いいたします。広告・賛助お申し込みの方は返信はがきにご記入の上ご返送ください。改めて詳しい資料をお送りさせていただきます。 (広告・賛助お申し込みの方には名簿を1冊進呈いたします。)
 
名簿・賛助金のご予約について
協賛広告を募集します。(名簿1冊進呈)
1 頁 100,000 円 1/2 頁 50,000 円
1/4 頁 25,000 円 1/8 頁 15,000 円
※収集した個人情報は同窓会活動にのみ活用します。
ホームページ (https://ssl.dousou.info/1post/seimei/) から、 変更登録が可能です。
携帯電話からも登録できます 清明会会員名簿確認フォーム  
 
名簿作成専用 お問い合わせ
TEL 0120-66-7754  FAX 0120-81-2299
受付時間 9:00~12:00・13:00~16:30(土曜・日曜・祝日 を除く)
※同窓会は正式に小野高速印刷㈱へ業務を委託しています。
 

御影高校 清明会 令和元年会報誌

募金(清明会活動基金)と購読のお願い

 平素より清明会にご支援、ご協力を頂きありがとうござい ます。お陰様で、皆様方の善意の募金により総会参加者は増大し、学年会、クラス会も開催が活発になっております。これらの会には皆様方からの貴重な募金を使用させて頂いております。募金は一口1,000円で口数はいくらでも結構ですので、ご協力くださいますようお願い申し上げます。
 年1回、4月に発行しております会報「清明」の購読をご希望の方は、10年分の購読料2,000円をお振り込みください。
(振り込み用紙に購読欄のない方は現在購読者です。)

御影高校 清明会 令和元年会報誌

生徒活動後援会、ご協力のお願い

  高校生活において学習は勿論のこと、課外活動も豊かな 人間性を育てる意味で極めて重要です。
 本校では、PTA、清明会、松影会(元P TA会員の会) が協力して、課外活動を経済的に支援し、生徒活動の発展 に寄与しております。

平成30年年度活動成績・購入品他援助
全国大会出場 将棋部、卓球部女子、新聞部、囲碁部女子、放送部、声楽
近畿大会出場 陸上部男子、卓球部、将棋部、囲碁部女子、新聞部、バトミントン部、水泳部、卓球部
購入品他援助 近畿大会・全国大会・出場看板、東北ボランティア宿泊費他援助、文化祭・体育館音響システムレンタル料、卓球台2台、ノートパソコン( 新聞部)、真砂土、ショットクロック操作盤(バスケットボール部)、ヒノキ製レーキ10本(テニス部)、平釣太鼓(剣道部)、クラリネット(吹奏楽部)、17弦琴の琴柱と鳥居台(筝曲部)、得点版、チェロハードケース2個( 弦楽部)、パソコン(放送部)、功労賞用賞牌100個、メダル刻印代

生徒活動後援会の趣旨をご理解頂き、 卒業生の皆様からの温かいご支援をお願いいたします。

御影高校 清明会 令和元年会報誌

事務局からのお願い

ご住所やお電話番号などに変更がございましたら事務局へ連絡をお願い致します。E - m a i l、Fa x、電話、郵便いずれかの方法でお届けください。事務局は、毎週火曜日(祝日を除く)10:00~16:00事務をおこなっております。
学年同窓会、クラス同窓会開催の事務的な準備をサポートさせていただきます。皆様からの連絡をお待ちしております。


事務局からのお知らせは、清明会ホームページにも掲載しておりますので、ご覧ください。
TEL 078-854-0919(FAX兼用)
E-mail seimeikai@hyogo.email.ne.jp

URL

http://www.seimeikai.com/


編集後記

 本誌11頁で紹介されております通り今年は大河ドラマ「いだてん」に登場する御影が生んだ偉人・嘉納治五郎の名と功績が広く知られる年となりました。
 大河ドラマの放映も進み嘉納治五郎への関心が高まる中、去る3月2日に道谷会長が監修する東灘区役所主催のイベント「東灘歴史探訪・てくてく東灘」に参加しました。当日は嘉納治五郎の生誕地などゆかりの場所を訪ね、改めて御影が文教の地として積み重ねてきた歴史を感じると共に、戦前の東京オリンピック招致やスポーツとしての柔道の普及のほか御影地域の教育の発展にも尽力した偉人が我が母校に幾度となく訪れていたことも知り大変感慨深い1日でした。
 これからも多くの方に素晴らしい先人の存在が認知されることを願うと共に、文武両道を育む御影高校から国境を越えて世界に名を遺す達人が増えることを願う次第です。

(39回生 小林 進)
 
御影高校 清明会 令和元年会報誌

兵庫県立 御影高等学校 同窓会 清明会