兵庫県立御影高等学校・同窓会「清明会」会報
2015年4月吉日発行


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目次

ごあいさつ 清明会会長 萩原 孝治郎24回生
さらなる躍進をめざして 校長 林 啓司
「学」 代表幹事 野村 泰尊(67 回生)
学年会、クラス会の報告
県三女3回生
 10回生 11回生 13回生 15回生 16回生 25回生 27回生 29回生 
平成26年度 清明会総会 懇親会・第11回ホームカミングディ
「達 人」 中山 一江(15回生) シニアライフアドバイサー
「達 人」 北島 庸行(35回生) 木工家 アトリエK I K A 主宰
「達 人」 井上 まな(39回生) 音楽活動家
「達 人」>金 純(40回生) F M C O C O L O D J 
追悼 土井たか子さん(県三・1回生)
39回生 和田華凜(旧姓・後藤美加)さん 北溟社与謝蕪村奨励賞を受賞!
池田説子(旧姓 栗山、高3回生)さん、瑞宝双光章を受章!
清明会からのお知らせ 
生徒活動後援会、ご協力のお願い
清明会会員名簿のご案内
事務局からのお願い
編集後記
バックナンバー

清明会会長 ごあいさつ

清明会会長 萩原 孝治郎 24回生

御影高校の清明会会長を務めており ます、萩原孝治郎でございます。

 この5月の幹事会をもちまして2期6年間の任期を終 えることになりました。至らぬ点があったかとは思いま すが、御影高校のO Bとして、少しでも縁の下の力持ち となれるよう精一杯努めて参りました。会長に就任した 際に掲げた目標がありました。
  @ 魅力ある同窓会にしたい   A 在校生と母校の発展に寄与できることをしたい これらを目標とし、この6年間様々な事業に邁進してま
いりました。お世話になった母校のために皆様のご協力 の下、魅力ある学校への働きかけができたことは、私に とっても大変誇らしいことでした。
  次期会長にも、意思を引き継いで頂き、よりよい清明会となるよう活動を行って頂きたいと願っております。 会長交代の際には、新しい風が吹くことを期待して、会長のバトンを渡したいと思います。
   今年の4月からは学区再編が実施されました。子供たちの将来に向けての選択肢が広がる中、卒業生である 我々が誇りを持って母校の魅力を伝えることは、これから高校を選ぶ子供たちにとって、大事な情報源になるの ではないでしょうか。今後も積極的に母校の魅力を発信していきましょう。
  御影高校で過ごしたことを誇らしく思って卒業してほしい。そして、その気持ちを次の世代に繋いで行ってほしいと願っております。
  今年は、清明会が70周年を迎える記念すべき年でもあります。80年、100年と歴史を重ねて参りましょう!

 
校長 林 啓司

さらなる躍進をめざして
     
 御影高校に赴任して、三度目の春を迎 えます。
 中庭のしだれ桜が、今年も見事な花を 咲かせてくれています。阪神淡路大震災 の時、本校に避難していた方々によって、平成9年9月に 植樹されてから18年が経ち、立派な桜の木に成長しました。
しかしながら、当時のことを知っている教員はほとんどい なくなってしまいました。
  今年は、震災から20年。今一度当時のことを振り返り、 震災を経験していない生徒達に、防災の意識を持たせ、「自分の命は自分で守る」ということの大切さを気づかせることが必要だと思っています。
  さて、昨年の部活動では、水泳部の大谷君が長崎国体の男子400mメドレーリレーの第2泳者として出場し優勝、将棋部女子が県大会を勝ち抜き、初めて団体で全国大会へ出場するなど、全国に御影高校の名を知らしめてくれました。
近畿大会へも男子バレーボール部と陸上競技部が出場していますが、戦績にかかわらずほとんどの生徒が日々部活動に熱心に取り組んでいます。学校行事においても、3年生のリーダーシップのもと、夢野台高校との定期戦、文化祭、体育祭など、例年にも増して大いに盛り上がりました。
    また、学校の特色づくりということにおいては、一昨年から始まりました総合人文コースの生徒を中心とした「ことばの力シンポジウム」に、本校10回生の前神戸市長、矢田立カ氏をコメンテーターとしてお招きし、神戸の現在、そして未来について考えを深めました。基調講演では、矢田氏に神戸医療産業都市構想の話題から、人の流れをつくる大切さを話していただき、続く課題研究発表では、コースの2年生が「コミュニティバス成功の鍵〜くるくるバスから探る〜」のテーマで、地域コミュニティの大切さを伝えました。その後のパネルディスカッションでは、神戸大学の学生も交え、「神戸の未来を考える」というテーマで活発な意見交換を行い、最後に、矢田氏より「人の輪を作る
ことが大切」というメッセージをいただきました。人材の宝庫である清明会の皆様のお力をいただき、生徒にとって大変有意義なシンポジウムになったと思っています。
  今年度も、文武両道、総合人文コースを中心とした特色ある教育の実践、国際交流活動やボランティア活動への積極的な取組などを通して、御影高校のさらなる躍進を図っていきたいと思っていますので、今後とも「清明会」の皆様のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。


幹事代表 野村 泰尊(67 回生)

「学」
     
 思い出がたくさん詰まった3年間が あっという間に過ぎ、僕たち67回生は 卒業することになりました。そして、 クラスの委員長にも、クラブの部長に もなれかった僕は、最後の最後に同窓 会の学年幹事という大役を授かりました。少し不安では ありますが、持ち前の元気でクラスや67回生の同窓会を 盛り上げてみせます。
  御影高校では本当にたくさんのことを学びました。
  それは授業で教わった公式や、部活で身につけた技術 だけではありません。学校に遅刻しないこと、あいさつをしっかりとすることといった日常生活を送る上で一番 基本となるマナーの大切さを学んだのです。また、友達 がいてくれたからこその支えが、どれほど大きく自分を 強くしてくれたのかを深く理解することができました。
    夏は冷房が無く暑く、冬は暖房が無く寒い、生徒に厳しい御影高校のおかげで僕たちは体も丈夫になったはずです。
  「清く、明るく、正しく、強く」生きる事を学んだ僕たち御影高校生は「変化に主体的に対応できる人間」としてきっと未来の社会を照らす希望になると信じています。
  これからは、御影高校の同窓会・清明会の一員として母校の後輩達に負けないようがんばって行きたいと思います。

学年会、クラス会等の報告
 

御影高校1回生 県三女3回生(薫紅会)同窓会

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日時:平成26年5月16日(金)
場所:芦屋竹園

 風薫る5月16日。県三3回生・御影高 校1回生は数年ぶりに芦屋竹園に再会の 席を設けました。
 遠くは関東方面から、近くは京阪神か ら昔少女達は早々と集合し、70年前の学徒動員の頃から敗戦後の復興
作業に尽くしたことども…。
  今は、老々介護のあと伴侶を見送られた方。曾孫まで恵まれた方、 そして、今尚、現役で活躍中の方々など。あっという間に3時間は過ぎ。
席を改めての会も夕刻まで続き、来月の清明会総会にも出席しましょう と願ってお開きに致しました。

〈植村・大野・新垣〉


御影高校 10回生同期会



日時:平成26年4月11日(金)
場所:神戸空港島 ラヴィマーナ
参加者:72名


 海洋リゾート風のイベント会場に、卒後56年を経た仲間が72名集まりました。
開会に際し、12年間の神戸市長の大役を終えた同期生の矢田立郎さんへ全女性参加者からの花束が贈られ、その後は全員が昔の仲間に戻って話に花を咲かせ、あっという間の3時間が過ぎました。
  次回は2年後の喜寿を祝う会の約束をした後、校歌を斉唱して解散となりましたが、話し足らない50余名は別棟の喫茶室に移動して名残を惜しみながらの解散となりました。

〈世話役:山本清子、横尾能範〉


御影高校 11回生同期会



日時:平成26年11月18日(火) 出席者: 50 名

 10月中旬に予定しました 同期会は大型台風来襲のため延期しましたが、11月18日の出直し会にも当初計画 と同様約50名の参加者に恵まれました。卒業後25年辺りから折々に開催してきましたが、卒業50周年記念の集まり以来は隔年のペースで継続開催しています。
  73〜74歳を迎えた私達です、幹事会ではそろそろ毎年開催も検討したいね、と言う声も出ています。当日は3時間近い懇親のあと校歌斉唱で幕となりました。集合写真では多数のため判別が難しかろうと安心していたのですが撮影者が凄腕のため皆さんはっきり写って良い写真になりました!

〈幹事 曽野 健三〉


13回生 学年新年会



日時:平成27年1月24日(土)
場所: 神戸三宮 河野屋  出席者:24名


 1月24日(土)14時開宴で御影高校13回生学年新年会が神戸三宮河野屋で開催されました。
  当日欠席の方が出ましたので24名になりました。鍋物のお料理で歓談が続きましたが、 一人ずつ近況報告を話していただき最後に校歌を合唱し集合写真を撮ってお開きになりました。6月7日(日)の清明会総会は自由 参加にしましたが、77歳時の学年同窓会を睨んでクラス幹事には声がけだけさせていただくことになりました。

〈学年幹事 関根 武雄〉


御影高校15回生 古希のつどい



日時:平成26年11月6日(木)
場所: 生田神社会館 出席者:70名


 平成26年11月6日(木) 午後1時〜4時、生田神社 会館で、15回生が古希を 迎えたのを記念して「御影 高校15回生古希のつどい」 を開催しました。参加者は恩師福川先生ご夫妻をはじめ、同級生68名の合計70名でした。「つどい」は集合写真の撮影から始まり、解散までの3時間の歓談を、三年ぶりに愉しみました。今回が最後の同期会と覚悟していましたが名残は尽きず、次回は2年後の再会を固く約束し解散しました。

〈幹事 納田 純男〉


御影高校 16回生卒業50周年 吉村先生を偲ぶ会

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日時 : 平成26年5月18日(日)
場所 : 阪急六甲 六甲苑


 私達、16回生は、今年(平成26年)、「卒業50周年」を迎えました。
  昨年から、色々な集まりを通じて、あれこれと記念行事を考えてきましたが、まずは、出来るだけ多くの同期生が集合できるようにと、170名に案内往復はがきを出しました。結果は、「49名」の参加でした。
  「六甲苑」(同期生の、葉(旧姓:藩)さんの経営する中華料理店)で開催しました。
  50年ぶりに再会する者もおれば、毎年会っている者もおりましたが、話が尽きることなく、ワイワイ・ガヤガヤ…と予定時間(12時から15時)を過ぎても、終宴となりませんでした。又、これまでに、27名の同級生が逝去している事実も確認しました。
  恩師についても、昨年「笹本先生」が逝去されていた事が報告されました。次は、平成28年の春に、「70歳を超えて」という事で再会することを約束して散会となりました。
  尚、「古村先生を偲ぶ会」も同時開催いたしました。午前中に、有志で「古村先生のお墓参り」も実施されました。

〈16回生 湯田 悦央〉


御影高校 25回生同窓会報告

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日時: 平成26年5月3日(土) 祝
場所:中山手通りサテンドール神戸


  平成26年5月3日(祝)に25回生第8回同窓会を中山手通りサテンドール神戸で行いました。今回は還暦同窓会ということもあり90名近い方の参加がありました。代表幹事宗重隆志君の提案で、赤
い物を身につけて参加する案内を出したところ、蝶ネクタイ、ネクタイ、シャ ツ、ワンピ、ポケットチーフ、靴など赤い物を身につけて参加して下さり大いに盛り上がりました。
  また、還暦記念として赤い革製のキーホルダーを作成し、参加者にお渡ししたところ、良い記念になると言う声も聞き、幹事一同嬉しい限りでした。加治先生、城先生もお元気なお姿を見せてくださいました。初参加の方、遠方から来て下さった方もあり、懐かしく楽しい時間を過ごし、ほとんどの方が
喋り足りないと二次会に参加してくださいました。還暦とは言え、まだまだ元気です。次回は中村守男君を代表幹事として2年後に行います。今回以上の参加者でお会いできる事を願っております。最後に、同窓会開催にご支援頂きました清明会にお礼申し上げます。

〈25回生学年幹事 西原 健治〉


御影高校 27回生同窓会

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日時:平成26年8月16日(土)
場所:生田神社会館


 去る8月16日、私達「高校27回生」 は恩師の半田先生、大江先生を迎 え生田神社会館において第3回同窓会を開催いたしました。
  一次会91名、二次会は当日の参加が増え予定人数を大きく上回る66名にもなりました。
  歓談中は卒業アルバムの写真をスクリーンに流しあれこれと懐かしい話題に盛り上がり、歓談終盤、現役ソプラノ歌手の濱崎加代子さん(同期生)の指導の下、校歌斉唱!
  人生色々な段階で様々な出会いと別れがありますが学生当時話したかったけど話せなかった人?と40年を経て出会い、話すことができたことは何より意味のある時間だったと感じています。
今回の集まりを機にプチ同窓会が増えそうな気配です。
  3年後の還暦同窓会の日取りまで決まり楽しい時間は終わりました。

〈記:藤田 邦和〉



御影高校 29回生 第5回学年同窓会

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日時:平成26年4月27日(日)
場所:神戸ポートピアホテル
出席者: 67名 恩師 3名


 平成26年4月27日(日)のゴールデンウィークに、神戸ポートピアホテルにおきまして、29回生の第5回学年同窓会を開催しました。私たち29回生は平成10年に第1回を開催して以来、4年に一度開催
しており、今回は第5回目となります。当日は67名の卒業生と3名の恩師の先生方にお集まりいただきました。恩師の先生方の懐かしい話で始まり、4人の卒業生による余興(山伏問答、ピアノ演奏、ダンス)で盛り上がり、最後は校歌を生のピアノ演奏と全員合唱で 締めくくりました。2次会には元宝塚トップの紫苑ゆうさん(高2まで在籍)も加わり懐かしい出会いが実現できました。これからも気軽に行きたくなる同窓会をめざして続けていきたいと思います。次回は平成30年です。今回参加できなかった方、次回はぜひ!なお、今回の写真はネット上に期間を限定して公開します。

〈世話役 末次 俊夫〉


上記以外にも、たくさんの同窓会が行われています。
清明会ホームページにも掲載されています。

●10回生 平成26年10月28日 10回生関東同期会
●14回生 平成26年10月19日 14回生 関東地区同期会報告
●4回生 平成26年10月1日 4回生 ふとなろ会
●28回生 平成26年7月26日・8月10日 28回生クラス会
●17回生 平成26年6月1日 17回生学年会
平成24年度 清明会総会 懇親会・第9回ホームカミングディ
 平成26年度の総会6月8日(日)午前11時から、生田神社会館4階におきまして、清明会総会と第11回ホームカミングデイ(県三 から高校4回生、高校30・31・32回生 、定時制23・24・25回生、を招待)を開催いたし、会場がいっぱいになるぐらいたくさん の(300名を超す)方々が集って頂きありがとうございました。
  恩師も一緒になって同窓生と共に交流を楽しんで頂きました。
 
総会・ホームカミングディの最後は、参加者全員で御影高校のより一層の発展を祈って終わりました。
たくさんの方々が参加して頂きました。 ありがとうございました。
 

 
「いばら繁る みちをひらく」

中山 一江(15回生)
シニアライフアドバイサー
     
 御影高校を卒業して大手都市銀行に就職しました。職場で出会った夫と結婚し息子2人にも恵まれ順風満帆だったある日、突然に困難が襲ってきました。それは健康そのものだった夫の難病発症でした。初めて耳にする難病「脊髄小脳変性症」に夫婦で途方にくれました。難病とは治療法がなく様々な苦痛があり病状が進行していく病気なのです。「脊髄小脳 変性症」の病型は数種類ありますが夫の病型は徐々に自律神 経系統が侵され排尿排便、血圧、体温の調整ができなくなり、その上に少しずつ運動機能も失われ、寝たきり生活へと進行するのです。しかし意識は最期まで正常という極めて厳しい病態なのに、この病気だけではすぐには死ぬことすらもできない、という悲しい現実でした。セカンドオピニオンは勿論、親友のご主人が難病研究第一人者と知れば診断を受け、西洋医学で駄目なら東洋医学でなんとかと、この世に良い治療法はないものかと東奔西走しました。が、残念ながら全く効果はありませんでした。    そこで、難病になったものは仕方がない、迎え撃つしかない、と決心しました。夫の発症は53歳でした。サラリーマン人生を全う出来ない無念さを察すると、どうしたらよいのかと戸惑う介護者の私は49歳でした。それから10年間が夫婦の闘病珍道中でした。悲しみを共有する妻が空元気を装うには出版が一番かと介護中に「GOGOおばさんとバックオーライ」という闘病記を出版しました。「我が人生前進あるのみ」が信条の私のニックネームは「GOGOおばさん」。その後ろから「チョット待て」と軌道修正やアドバイスをくれる夫のニックネームは「バックオーライ」。「GOGOおばさんとバックオーライ」は抜群の好コンビでした。夫の残した言葉「逆境の、妻の明るさ、気分晴れ」に今もなお励まされています。その後「ハッピー介護の秘密」「GOGOおばさんのハッピー介護」を出版しました。出版の反響でしょうか、大学、看護師養成学校、難病介護ヘルパー講座、老人大学、その他の団体からテーマ「GOGOおばさんのハッピー介護」で講演依頼を頂きます。辛い話を明るく話す吉本風講演だと評価されているようです。御影高校校歌の歌詞「いばら繁る、みちをひらく」を口ずさみながら勇んで出かけています。夫の供養にもなり難病患者、介護者への理解が深まればとの願いからです。シニアライフの幸せのために私の活動が少しでも役立てればと張り切って過ごしている毎日です。

Profile

 

「シニア生き活きネットフォーラム」代表
放送大学 生活と福祉学科在学中 
御影高校卒業後、大手都市銀行に入行。
結婚27年目に夫が脊髄小脳変性症を発症。
以来、介護生活10年。
「難病患者の会」でのボランティア活動を続ける。
2002年
 『60歳のラブレターA』(N H K出版)にレター掲載される。
2003年
介護生活を描いた 『G O G Oおばさんとバックオーライ』(東京図書出版会)を刊行。
2005年
介護生活とその後を描いた 『ハッピー介護の秘密』(AK企画)を刊行。
2007年
『60歳のラブレターF』(N H K出版)に「三つ のありがとう」を掲載される。
2007年
「60歳のラブレター作者の会」設立会長となる。
2012年
 『G O G Oおばさんのハッピー介護』(静岡学術出版)を刊行。
介護問題を中心に講演活動を続け「明るい介護」のネッ トワークづくりをライフワークとしている。
ホームページ 「GOGOおばさんのハッピー介護室」  http://homepage1.suisui-w.ne.jp/gogolady/
   

 

作りつづけて

北島 庸行(35回生)
木工家 アトリエK I K A 主宰
 
     
 御影高校在学中はどの学年のクラスにおいても、又3年間在籍したラグビー部でも、個性豊かな友人達との出会いに恵まれ毎日が楽しく充実した日々を過ごす事ができたと振り返ることが出来ます。放課後ボールを追って傷だらけになりながら暑さ寒さに耐え走り培った体力は今で
も活きていると感じ、気の置けない仲間達と過ごした日々は掛け替えの無い青春時代の思い出であると共に今でも尽きることの無いエネルギーを得た時期でもあったと感じています。
  その頃物作りの分野に興味を持ち始め、卒業後は美術大学に進学してデザインの勉強をした後に家具を販売する会社に就職、家具・インテリアデザイナーとして働き始めました。そこでは高い要求を持つ施主の方々との出会いが有り、さまざまな物作りの現場にも関わり、仕事へ向かう気持ちが大いに鍛えられたと思います。またドイツの家具メーカーに勤務する経験やイタリアの見本市へ出向く機会などから更に刺激を受け、多くの物を見て知る程にもっと密度濃く物作りの中に身を置きたい、できれば自らの手で物を作りだす仕事がしたいと思い始めます。
  そして‘95年の震災の年の暮れに退社を決意して岐阜県に行 き木工修行を始めます。その頃既に30歳を過ぎていた事もあって、木を削り製作に向かう基本だけをだけを身につけ早々に兵庫県に戻ってアトリエを開設しました。
  受注製作を主にテーブルや椅子などの家具類は勿論、器などの小物から建築工事の一部分まで力の及ぶ限り幅広い依頼に応えたいというのがそれ以来一貫した姿勢です。個人での制作活動と言うと自らの作品作りに勤しんでいると思われがちですが、デザイナーの経歴も踏まえ、ある依頼に対してより良い返答として製作をするというスタイルに今もやりがいを感じます。自由な作品作りもしたいと言う希望もありますが、それはもう少し晩年に取組もうと思っています。
そしてその物作りの材料として選んだ木は自然素材であるが故の難しさがあり、扱いの易しい素材ではありません、しかし誠実に扱って丁寧に手を加える事でその本来持っている美しさを引出す事ができる素材であると思っています。「K I K A」という名前は漢字で書くとすれば「木華」、木を昇華させて良いものにしたいという思いを込めて、独立を決めた時にテーマであり目標とする思いを名前にしました。高校生の頃美しいものに憧れ物を作る仕事に携わりたいと考え始め、その初志は形が変わりながらも持ち続けています。人に喜んでもらえて、自分も納得のいく物を作れるよう探究心を忘れずにいたい、そして50歳になった今、あと30年は「作る」仕事を続 けていたいと思うのです。


Profile
   
1989年
武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科
インダストリアルデザイン専攻 卒業
株式会社松山入社
1991年
ドイツ ブレーマーハーフェン駐在
Wa r r i ng s(ヴァーリングス)社に出向勤務
1993年
2級建築士免許取得
1996年
株式会社松山退社
木工家 早川謙之輔(岐阜県 杣工房)に師事
1997年
兵庫県篠山市にてat e l ier K I K A(アトリエ・キカ)開設
2001年
淡路島洲本市に住居、工房を移転制作活動を続ける
 
ホームページ http://www.kitajimanobuyuki.com/
   

心をつなぎ幸せを届けるシンガー!

井上 まな(39回生)
音楽活動家
 
     
 幼少の頃、日曜日になると父が大音量でジャズを聴いていました。その影響か?気が付けば音楽が大好きになっていました。高校の頃はちょうどバンドブーム。高校近くの音楽スタジオに毎日のように通ったものです。
  若いころは、誰かのまね事。自分のエゴで歌う。ただの押しつけだったと思います。
  短期間ですが当時お世話になっていた外国人バーでアメリカのアーティストの曲を歌った時、アメリカ出身の方々が一緒に歌い出し、私のマイクスタンドの前にはズラリと生ビールのプレゼントが。故郷を思い出されたのか?その辺は今でも分かりませんが、その時に初めて歌で人の心が動いた!と感じました。それからが止められません。中休みはあったものの、歌うことに魅力を感じ、現在もまだ歌っている次第で
す。
  ライブで歌っている時、聴いて下さる方のお顔の表情が変わっていかれる瞬間を見ることがあります。笑顔になったり、涙されたり。もしかしたら、日々の生活に追われ、取り残されてきた隠された心(喜びや痛み)があるのかも知れない。それを解放するお手伝いが出来るのかも知れない。少しはストレスを発散してもらえるかも知れない。そんな風に思うようになりました。
  今年は阪神淡路大震災から20年。街並みは新しく綺麗になりましたが、やはり昨日のことのように思い出されます。人の心はそう簡単に癒えるものではないです。
    1月には震災関連のイベントがいろいろなところでありました。テント村だった公園やご縁があり御影公会堂でも歌わせていただきました。そして、human note 震災祈念コンサートでも。「しあわせ運べるように」はまだ歌えない方もいらっしゃいます。そんな方々の心を少しでも癒すことができればと思いながら歌わせていただきました。
  音楽学校を出た訳でもなく、自分なりに勉強してまいりました。子育てや仕事もあります。普通の人。ですが、自分が好きで続けてきた歌を通して、何か出来ることがあるんじゃないか?と思っています。一回一回のステージを大切に、聴いて下さる方々に響くよう、楽しい内容の時はより楽しく元気になるように、優しい内容の時はより優しく語りかけるように、その場
に応じて歌えるよう精進して参ります。大きな事を考えている訳ではなく、まずは身近な方々へ。基本、地域密着でありたいと思っています。
  実家が酒販店(東灘区)ということもあり、最近では灘の酒蔵の蔵開きや、地域のイベント等で歌わせていただいております(御影高校卒業生ならお分かりかと思いますが、阪神御影駅前の市場の中でも歌わせていただきました)。h u m a n n o t e メンバーとしても数々のコンサートに出演させていただいています。今後も歌える状態である限り歌っていきたいと思います。どこかで目にすることがあれば、お声かけ下さ
いね。

Profile
御影高校、神戸海星女子学院短期大学卒業後会社勤めをしながらも、音楽活動を続ける。
結婚後も、子育て、仕事のバランスをとりながら音楽活動を続けている。
2010年 hu m a n not eに所属。
メンバーとして年に数回コンサートに出演(ホームページU R L ご参照下さい)。
human note 公式ホームページ  http://www.human-note.com

 

ラジオから3ヵ国語でワクワクをお届けします

金 純(40回生)
F M C O C O L O D J
 
     
 こんにちは。F M C O C O L OのM E M E です。この場をお借りして、母校である御影高校での思い出と「今」のことを少し書かせていただきます。母校では3年間バスケ部に所属。午前6時前に起床しての朝レンから始まり、放課後、練習を終えて帰宅するのは午後8時頃。練習、食事、入浴、就寝で精一杯の日々。もちろん宿題する時間もなく(って、いい訳ですが。笑)授業中はついウトウト。2年3学期までの通知簿平均点が3.8。バスケットボールに明け暮れ、ろくに受験勉強もせず迎えた高3の春。このままでは大学に行けない…大学へ行くには指定校推薦枠をもらうしか道はない!
3年1学期までの合計点を平均してくれると聞き、一念発起。それまではいつも教室の一番前で居眠りし、先生に度々叱られていたのですが、なんと奇跡的に3年1学期のテストで学年1位!まさかのオール5を獲得!それを手に、担任の先生を脅し(笑)、甲南大学経営学部を指定校推薦で入学させていただきました。このときのことは私が人生で最も必至のパッチで勉強したエピソードとしてたまに思い出しては、自分自身を鼓舞することがあります。二度と同じことはできませんが。笑。華僑であるというのもあり、大学卒業後は中国総領事館に勤務。その後渡米し、95年、阪神淡路大震災を機に帰国。そして、ある出逢いをきっかけにラジオの道へ。
その出逢いというのも一期一会。たまたま出逢った方から、たまたまF M C O C O L Oで日本語、中国語、英語を話せる人を探してるからどう?と勧められ「やったことないし、無理だわ。」と不安を抱きつつも、番組プロデューサーにお会いすると、なんと!その3週間後にはマイクの前に座り、アジア音楽専門番組を担当することに。それから気がつけば約20年。ラジオを通してたくさんの学び、出逢いがありました。
  学びという意味では、知的好奇心豊かなリスナーのみなさんに、いかに、ワクワクしてもらえるような音楽と情報をお届けできるか、日々360度にアンテナを張り巡らせています。番組のある日はスタジオに行くと、まずはその日の朝刊 各紙に目を通し、情報収集。選曲しながら、それぞれの曲をどのようにご紹介しようかと番組構成を考えます。これはとても楽しい作業で毎日が学びだと感じています。またラジオを通してたくさんのリスナーさん達やスタッフ、ゲストの方々と出逢えたことにも感謝。番組ゲストで最近一番印象に残っているのは2013年11月12日、ホテルから京セラドーム大阪へ車で移動中のポール・マッカートニーへの電話インタビュー。
まさか私が音楽の神様とお話できるなんて!とインタビュー前の数日間は食事も喉に通らず、生きた心地がしませんでした。でも、そんな緊張感を察してか、ポールはとても優しく、しなやかにひとつひとつの質問に答えて下さいました。
「H e l l o ? I k n o w i t ' s a s t u p i d q u e s t i o n t o a s k b u t , a m I r e a l l y t a l k i n g t o P a u l M c C a r t n e y ?(とても馬鹿げた 質問だと思うのですが、あなたは本当にポール・マッカートニーですか?)」「Y e a h , I t h i n k s o . L a s t t i m e I l o o k e d  i n t o t h e m i r r o r , i t w a s h i m !(たぶんそうだと思うよ。
最後に鏡を見たとき、確かに彼だったからね。)」というジョークも交えつつ。今では天職だと感じるラジオの仕事。
これからもラジオからウキウキワクワクをお届けしていきます。御影高校
O B , O G のみなさまとF M C O C O L O 765でお逢い できますこと
を楽しみにしています。


Profile
御影高校、甲南大学経営学部を卒業後、中国総領事館に勤務
その後渡米し、阪神淡路大震災を機に帰国
96年4月にF M CO C OL Oのアジア音楽専門番組でDJデビューし、
現在はA F T E R NOON DE L IGH T(月−木)14:00−17:00を担当する

F M CO C OL O DJプロフィール
http://cocolo.jp/service/Dj/index/123

 

追悼 土井たか子さん(県三・1回生)
 県三・1回生で、元・衆議院議長の土井たか子さんが、2014(平成26)年9月20 日にお亡くなりなられました。享年85 歳でした。土井さんは、1928(昭和3)年、神戸市に生まれ、1941(昭和16)年に兵庫県立第三神戸高等女学校の1回生として入学、1945(昭和20)年に卒業されました。県三卒業後は、最終的に同志社大学大学院に進学し、著名な憲法学者・田畑忍教授に師事し、憲法学者の道を歩まれました。その後、当時の日本社会党から衆議院議員選挙に出馬、12 回の当選を果たしました。その間、1986(昭和61)年には、日本社会党委員長に就任、憲政史上初の女性党首となり、また、1993(平成5)年には、衆議院議長となり、衆参を通じて初の女性議長に就きました。
  県三時代の同級生、秋葉節子さんから追悼の文が届きましたので、掲載させていただきます。



土井たか子さんから、2011(平成22)年に、清明会へ寄贈された色紙の額
土井たか子さんを悼む    
     
 土井たか子さんのご逝去をお悼みし、慎んでお悔やみ申し上げます。
  土井さんとは、兵庫県立第三神戸高等女学校で、仲良く学校生活を送りました。まだ校舎のなかった一回生の私たちは、県立第一神戸高等女学校の仮の校舎で学びました。忘れられない思い出は、市民グラウンドで陸上競技の猛練習をしたことです。土井さんは走り幅跳び、私は走り高跳び、上級生のなかった私たちでしたがみんなで頑張り、県の陸上競技大会では、初陣で、見事初優勝を果たすことができました。
  戦争中だったために、ゆったりとした学校生活はできませんでしたが、「欲しがりません勝つまでは」の一億一心で、みなが心を一つにして頑張りました。いずれは校舎の建つ予定だった“かんたろう山”でさつま芋の苗を植えたりして、銃後の守りをする乙女として働いたことを思い出します。また、学芸会では、私が楠木正成役、土井さんは家来役として出演し、その際、先生が湊川神社までよろい兜を借りに行ってくださったことも懐かしい思い出です。
   当時の髪型は、みんな結ぶか編むかだったので、刈り上げだった土井さんは、髪のすそを申し訳にくくり、級友から「豚のしっぽ!」とはやされました。また、重量運搬の訓練の時、土井さんはお父上の重い医学
書をリュックに詰めてこられました。私は、砂や小石を入れ参加しましたので、帰る時は全部すぐに捨て去りました。一方、土井さんは家まで重い医学書を持って帰られ、さぞ重かったことだろうと思います。
  女学校時代のエピソードは数々ありますが、今日はこのくらいで筆を置きます。安らかにお眠りくださいとともに、天国から県三(現御影高校)卒業生を見守ってくださいませ。

秋葉節子(旧姓 霞末、県三・1回生)

 
39回生 和田華凜(旧姓・後藤美加)さん 北溟社与謝蕪村奨励賞を受賞!

 39 回生の和田さんが、表記の賞を受賞され、受賞の感想が届きましたので掲載します。

 2013 年7月25 日大阪天神祭の日に上梓しました初句集「初日記」が2014 年3月に北溟社与謝蕪村奨励賞を受賞致しました。「初日記素直になつてみたくなる」のように、私が伝統俳句の世界に入って約7年間の日記のような句集です。奨励賞はもっと頑張れ!という賞。
2014 年6月からは六甲アイランド自治会の推薦で「六アイ新諷会」を発足、俳句指導もさせていただいております。俳句で皆さんの人生がより楽しく充実したものとなることを祈りながら、私自身も日本の美しい四季を5・7・5の17 文字で写生し続けたいと思っています。
和田華凜(旧姓 後藤美加、高39 回生)

東京中野サンプラザにて受賞式
2014 年3 月15 日
 
神戸新聞 2014 年3月8日
 
池田説子(旧姓 栗山、高3回生)さん、瑞宝双光章を受章!
     
池田説子さんが、2014(平成26)年秋の叙勲で、瑞宝双光章を受章されました。池田さんから、受章の 感想が届きましたので掲載します。  
     
 非常勤から出発した国家公務員。全国転勤もありましたが、その仕事が私の性に合っていまして定年まで楽しく過ごすことができました。
  平成26 年11 月、思いがけなく勲章(瑞宝双光章)を頂き、皇居にて天皇陛下に拝謁してまいりました。
  私は労働省婦人少年局の出先機関の婦人少年室で女性の地位向上の仕事など34年間働き、その間約10 か所の転勤を経験し最後に生まれ故郷である神戸の地にもどることができました。傘寿を過ぎ数々の思い出のうち、土井たか子先輩のことなどを記させていただきます。
  1980 年代後半、本省を含め7か所目の岐阜婦人少年室にいた頃、『土井党首来たる』というので岐阜の女性たちが目を輝かせて興奮していたのがまぶたに浮かびます。『やるっきゃない』『山が動いた』は有名ですが、立派な体格ではっきりと発言される頼もしい県三女の先輩をその後何度か仰ぎ見、誇に思いました。
  労働省の森山真弓さん、赤松良子さんとともに戦後女性の偉大な先駆者であり人間として尊敬する大先輩です。諸外国と比較し我が国の女性の自立のありようは、まだまだこれからという思いもありますが戦後70 年を経て女性の変化は隔世の感があります。
  終戦時女学生であった私たちに、民主主義・男女平等を説き背中を押してくださった中でも社会科の故橋本誠先生、仕事第一の私に協力を惜しまなかった亡夫、仕事を持つために学問をせよと貧乏の中で大学に行かせてくれた亡母、あらゆる場面で御指導・御支援を受けました沢山の方々に(多くは故人となられましたが)感謝をこめてこのたびの喜びをかみしめております。
池田説子(旧姓 栗山、高3回生)

清明会からのお知らせ
★第12回ホームカミングディについて★
平成27年の清明会 総会(6月14日)では、第12回ホームカミングディを併せて開催いたします。
今年は、県三1?高校4回生、高5〜7回生、高校33・34回生、定時制26回生、および高校56回生を対象とさせて頂きます。
  第12回ホームカミングディにあたり対象卒業生の恩師をご招待致します。上記対象の卒業生も勿論、無料ご招待させて頂きます。
(招待学年以外で、有料にて参加ご希望の卒業生は出来るだけ5月末までに清明会事務局へ連絡をお願いいたします。)
 
 
生徒活動後援会、ご協力のお願い

 高校生活において学習は勿論のこと、課外活動も豊かな人間性を 育てる意味で極めて重要です。
 本校では、PTA、清明会、松影会(元P TA会員の会)が協力して、 課外活動を経済的に支援し、生徒活動の発展に寄与しております。
平成26年度活動成績 購入品他援助
全国大会出場: 将棋部女子、馬術障害(個人)、水泳部、環境科学部、新聞部
近畿大会出場: バレー部男子、陸上部、水泳部、将棋部女子
購入品他援助: ランウエイ(助走路)8枚、チェロハードケース2個、
グラウンド用防球ネット、バレーボール用ポストカバー、
チァリーディング用マット、テニスコートラインテープ、
壁掛け扇風機4台、ワイヤレスメガホン、近畿大会・全国
大会出場看板、東北ボランティア宿泊費他援助、文化祭・
体育館音響システムレンタル料、空調機移設工事2台分
生徒活動後援会の趣旨をご理解頂き、 卒業生の皆様からの温かいご支援をお願いいたします。
清明会会員名簿のご案内
 
  清明会では平成26 年11 月に会員名簿を発刊いたしました。現・旧職員と平成26 年3 月
卒業生までの約29,000 名を掲載し、氏名、〒、住所、電話番号、勤務先又は在学校名、在校時部活動を掲載しております。ご希望がございましたら同窓会事務局までお問い合わせください。
  ご購入の際には、ご本人確認をさせていただきます。ご了承ください。

名簿代金:2,000 円(消費税・送料込み)
お問い合わせ:御影高等学校清明会事務局
TEL 078 − 854 − 0919(火曜日10 時〜 16 時のみ)
   

 
事務局からのお願い
同窓生の皆様、ご住所やお電話番号を変更なさいましたら事務局へ連絡をお願い致します。事務局への連絡は、電話、FAX、E-mailいずれでも結構です。事務局は、毎週火曜日(祝日除く)の午前10時?午後4時まで事務を行っております。 (FAX、留守電は24時間対応です)
事務局からのお知らせは、清明会ホームページにも掲載しておりますのでご覧ください。
(E-mail:seimeikai@hyogo.email.ne.jp)
URL http://www.seimeikai.com
   
 
編集後記
     
 今年度より学区再編の年が始まり、これまで以上に御影高校の魅力や特色を広く知って頂くことが望まれる時を迎えました。学校選びには進学のカリキュラムや環境設備も大切な要素ではありますが、礎となる校訓や教育方針のうえに脈々と受け継がれる文武両道の校風による人のつながりが後の人生で貴重な財産であることを卒業して何年も経った今も痛切に感じております。
  平成16年にスタートしたホームカミングデーには近年スタッフとしてお手伝いをさせて頂いておりますが、招待回生を中心に毎回参加者は300名を超え、世代を越えて御影高校を愛して止まない諸先輩方がおられることに誇りを感じると共に感銘を受けずにはいられません。そのような素晴らしい伝統を持つ御影高校の魅力を卒業生の観点から発信できる「清明」であり続けることを望む次第です。清明会は今年70周年を迎えるに当たり、秋に70周年の記念誌を発行予定ですのでどうぞお楽しみにお待ち下さい。

   今年の会報誌「清明」をお届けします。萩原会長の2期6年にわたり、この会報誌の編集委員長を務めてきましたが、今年の総会で役員改選となりますので、私がこの会報誌の編集委員長としてお世話するのもこの号が最後となります。会員のみなさまには、大変お世話になりました。各界で活躍する同窓生の方々を一人でも多く紹介しようと思い、達人コーナーや新聞記事のページを充実させてきましたが、この方針は、次の編集委員長にも引き継いで行きたいと考えています。
  今年は学区再編の初年度で、母校の志願者がどのようになるのか心配していましたが、他の学区では最難関校が定員割れするところもあるなか、母校はまずまずのスタートを切れたのではないでしょうか。
  今年、我が清明会は、発足70周年の節目の年を迎えます。秋には、次期編集委員長のもと、会報誌「清明」の70周年記念号を発行する予定です。どうぞ、ご期待下さい。
(39回生 小林 進)
 
(35回生 編集委員長 道谷 卓)