兵庫県立御影高等学校・同窓会「清明会」会報
2012年4月吉日発行
|
※画像をクリックして頂くと記事をご覧出来ます。 |
|
|
|
目次
|
|
共に、清明会の仲間として |
清明会会長
萩原 孝治郎
24回生
|
2011 年、御影高校は創立 70 周年を迎え、 11 月には記念式典を滞りなく執り行うことができました。関係各位のご尽力に心から感謝いたします。
そして 2012 年の春、夢と希望を、あるいは期待と不安を抱きながら、 64 回生が御影高校を巣立っていきました。
私は 24 回生ですので、ちょうど 40 年前の卒業生だったのかと思うと、卒業式に参列させていただきながら、その時の流れの早さに少し驚いてもおりました。 1969 年 ( 昭和 44) の入学当初、学生運動が盛んに行われていた時勢のせいか、男子生徒の長髪が認められるなど新しい時代の自由な空気を感じ、期待に胸を膨らませていたことを今もよく覚えています。 |
この 40 年の間に日本は経済大国となり、先進国の仲間入りを果たしました。その後、バブル景気と崩壊、 IT 革命、自然災害、世界的な経済の低迷などさまざまな事象を経て、今、新たな変革の中の厳しい時代にあるのかもしれません。
しかしながら近年、スポーツや芸術の分野を中心に、日本の若い世代の人たちが世界の大舞台で華々しく活躍する姿が多く見られ、羨ましくもあり、同時に頼もしさも感じています。
今年の卒業生の皆さんの長い人生においても、この上ない歓びや思いがけない辛いことなど、きっといろいろなことがあるでしょう。
そのような時には、校訓である「清く、明るく、正しく、強く」を思い出してみてください。たまには母校の門をくぐってみるのもいいかもしれません。きっと当時と変わらない自由な校風を感じ、生徒たちの生き生きとした表情を見て、はっと目が覚めるような思いになるのではないでしょうか。
そして、すでに私たち御影高校の OB/OG の仲間、清明会の一員であること . も忘れないでください。
清明会の若い世代の皆さんの今後ますますの活躍に期待し、自分白身の、また日本の未来をたくましく切り拓いていただきたいと願っています。もちろん、私たち現役世代も負けてはいられません。社会貢献をはじめ、我が母校、在校生のためにこれからも尽力していくつもりです。
これからも同じ清明会の仲間として、共に頑張って参りましよう。
目次 |
|
御影の新たな歩みへ |
校 長 松田義人
|
御影高校は日々新たにその活動を進めていますこの 2 月末、第 64 回生が意気揚々と卒業し皆様の「清明会」に加えていただきました。伝統の行事、新たに取り組まれる各々の回生での取組を通して、御影での 3 年間多くを学ぶとともに . 一生の友をつくってくれたと思います。特に、本校創立 70 周年という記念すべき時を皆様とともに生徒として覚えること ができたことは彼らにとってすばらしい体験でありました。
|
今の学校生活が長年にわたって培われてきた伝統をべ一スとして新たな創造が加わってできあがっていること。「清明会」の皆隊とともに創り上げたた記念式典・公演を通して感じ取ってくれたと思います。御影高校を基とした「絆」、これは若い彼らにとって大きな力です。先輩の皆様との思いがけない場での出会いもあると思います。よろしくお願いしたいと思います。
昨年度、私たちは創立 70 年の歩みを振り返りました。そこには、時代の波を乗り越え前進する諸先輩の姿がありました。先輩達は戦火の中での創立、戦後の混乱が残る中での御影高校としての新たな出発等、「厳しい」と安易に表現できないような中にあっても次代を担う若人をいかに育てるかを求め続け先進的に取り組んでこられました教育の場では「不易流行」という言葉とがよく言われます。人を育てるにあたっての根本は時代を超えて不易、しかし一方では大きく変化する祉会に対応する必要があるということです。どのような人間を育てるのか、またなるのか、これは常に考え続けなければならない人生のテーマです。漠然とはわかったように思いがちですが、様々な体験を通してより深い理解に導かれます。そのことをいかに若人に伝えていくか。また、その上に立って社会の新たな動きを見通し、それに対応する知識、能力をいかに育んでいくか。これは、私たち教職員の常なる、課題です。各界で活躍される「清明会」の皆様との絆の中からも大いに学び続け、皆様に続く御影高校生を育てていきたいと思います。
「清明会」のみなさんが「清く、明るく、正しく、強く」の校訓のもと家庭、社会で活躍され、本校のこれからの歩みを応援し続けてくださることをお願いします。
目次へ
|
|
御影高校卒業と新たなはじまり |
坂田雅之(64回生)
|
私たち 64 回生は、伝統ある御影高校を卒業しそれぞれの道へ旅立っていこうとしています。御影高校で過ごした 3 年問は私たちにとってかけがいのないものとなりました。長いようであっという間に過ぎていったこの 3 年問はとても充実したもので、特に学校行事では学校全体が盛り上がり、各クラスだけでなく学校全体が一つとなって成し遂げ、素晴らしいものとなりました。また勉強だけでなく、部活動や色々な活動を通して多くの人と出会い親交を深め、未来への糧となる様々なことを学ぶことができました。さて、いよいよ私たちは清明会会員となります。これからはそれぞれが全く違った進路へ進み、活躍していくこととなります。この先いくつもの困難に遭い、逃げ出したくなることもあると思いますが、常に自分は清明会会員であるということを心に刻み、そしてこの素晴らしき御影高校を失業したことを誇りに思い、日々前進いていきたいと思います。
目次へ |
|
平成23年 御影高校7回生 第5回 悠遊会
日時:平成23年5月4日
場所:神戸東急イン
|
御影高校 7 回生商業科( 6 コース)及び普通科( 1 − 5 コース)の合同クラス会を毎年催しておりますが、今回は“古代ギリシャ展”を観て、あと三宮の東急イン会食となりました。参加者数は当初 37 名の希望でしたが、都合により 30 名の参加となりました。毎年開催しておりまして、約 50 年前の高校生活の想い出に話を咲かせ、お互い健康に留意し次回での再会を約束して解散となりました。尚、当会に参加ご希望の 7 回生諸氏ご連絡下されば、次回からの案内をさせて頂きます。 悠遊会より東北関東大震災への義援金( 5 万円)朝日新聞社を通じてさせて頂きました。 |
世話人代表 山田 慶三 |
|
目次へ
|
平成23年 県三女4回生傘寿記念同窓会ご報告
日時:平成23年5月20日(金)
場所:木曽路(御影店)
|
今年の五月、県三女学校を卒業した私達第四回生は傘寿を記念して同窓会を行いました。
関東からの参加も交えた約五〇名は現御影高校近くで昼食後、学校の前を通り、画廊での記念展覧会へ移動。出品者は八十歳の私達有志ですが思わぬ反響に驚きました。セピア色 した案内状の写真の女学生の青春は今ほど豊かではありませんでした。けれども生き抜いて、こうして同窓生と笑って語り合える幸せ を感じ、また会うことを誓い合った会でした。
|
報告 行永あや子
|
|
目次へ |
平成 23 年度「ふとなろ会」
御影高等学校 : 昭和 27 年卒業・高 4 回生学年会
日時 : 平成 23 年 10 月 1 日 (土)
場所 : 神戸ポートピアホテル 南館たむら(懐石料理)
参加 : 30名
|
第一部
此の一年間 同期の方々のご健勝と益々のご繁栄を祈り、乾杯しあと会食に楽しみました。
第二部
故人(恩師 諸先生方、同期の方々)に対し敬意を示し一分間の黙祷を捧げた。此の一年間 諸々の事。“ふとなろ会”是からの運営に付いて各位の意見を聞き出来る限り 此の“会”を続け更に懇親を深めて行きましょう と意見が纏りました。
私達 後期高齢者78歳を迎えますが、更に前向きに人生を楽しみましょう!と意気込み一年一回の顔合わせで短い時間の中にも更に友好を深め、来年又再会する事を祈願し一本締めの手拍子で閉会する事とした。
今回は、議題として平成25年で傘寿を迎えます。此年を機会に改称として「ふとなろ会 有志の集い」と改め新規に会員を募り把握し、今迄の開催案内を執り行う事と考えています。
後、元気な顔で記念写真を撮影し、来年を楽しみに解散しました。 |
報告 大西章介 山田文子 武中暁子
|
|
目次へ |
バドミントン部OB会のご報告

日時 : 平成23年11月19日 ( 土 )
場所 : 三宮「にじゅうまる」
|
『平成23年11月19日、三宮の「にじゅうまる」にて、御影高校バドミントン部 のOB会を行いました。 30回生から37回生まで総勢23名の参加でした。 30年以上、お会いしていなかった先輩や一緒に汗を流した同期、後輩の皆さんと楽 しいひと時が過ごせました。 長い年月の間、連絡がとれていなかった方同士が再会できて、今後の交流を持てるよ うになったこともうれしいです。 OB会の開催にあたっては、清明会にもご相談させていただき、アドバイス等をいた だきました。 皆さんへの連絡には清明会名簿がありがたかったです。名簿がなければ、こじんまり と同期会しかできなかったことでしょう。 同窓会組織がしっかりしていていることに感謝の気持で一杯です。 ただ、今回、先生方やすべてのOBの方にはご案内できませんでした。この場をお借 りしてお詫び申し上げます。 今後はより幅広く連絡して、継続的に行いたいです。
|
報告 33回生 米山 高志 |
|
目次へ |
御影高校14回生同窓会

日時 : 平成23年11月21日(月)
場所 :湊川神社 楠公会館 出席者:47名
|
平成23年11月21日、昭和37年卒14回生の初めての同窓会を神戸文化ホールでの御影高校創立70周年の記念式典・記念公演に参加し、湊川神社内の楠公会館で午後4時より開催致しました。
当初、何人来てくれるだろうか?と心配しましたが、部会幹事の皆様方の努力と協力のお陰で関東地区の仲間を含め 47 名が集いました。恩師の井本先生(市内の自宅より愛車運転で参加、ほんとに若いですね)を囲み、出身中学別の自己紹介・芸達者による落語等・ 校歌斉唱・あっと言う間に2時間が経過しました。
時間が経つのも、 年を重ねるのも早いですが、49年のブランクを感じさせない、とても和やかな雰囲気に終始し、再会を楽しみに帰路へと向かわれました。節目の卒業後50年の同窓会には、お誘い合わせの上、多くの同窓生の参加をお待ちしております。
|
代表幹事 |
岸田 英昭 |
副代表幹事 |
福田 正名 |
事 務 局 |
米谷幸次郎 |
|
|
目次へ
|
上記5件以外にも、たくさんの同窓会が行われています。
|
|
目次へ |
|
御影高校創立70周年記念式典・記念公演
平成23年11月21日(月)神戸文化ホール・大ホール
|
|
創立 70 周年記念事業と記念式典・記念公演の報告
御影高校教諭 大道 正 (31 回生 ) |
|
平成 23 年の創立 70 周年に向け、平成 22 年度には「創立 70 周年記念式典準備委員会」が組織され、準備が始まりました。平成 23 年度に入って、組織は「創立 70 周年記念式典実行委員会」と改められ、萩原孝治郎清明会会長が実行委員長になり、学校・ PTA とともに 70 周年記念事業を計画・実行していくこととなりました。
記念事業の柱の 1 つである記念誌「兵庫県立御影高等学校 70 年史」の作成は、別途編集委員会を組織し、平成 13 年度〜 22 年度までの 10 年間の記録をまとめるということを編集方針として作業を開始しました。記念誌には、「清明会のあゆみ」のページが 13 ページ割り当てられ、年表形式での「 70 年のあゆみ」、この 10 年間を振り返っての清明会員の寄稿、会報誌「清明」の表紙の変遷、「清明」で紹介された各界で活躍する卒業生の記事の抜粋など、幅広い形での編集を心がけました。この「清明会のあゆみ」の編集には 19 回生寺岡一夫氏、 35 回生道谷卓氏にご尽力いただいたことをご報告いたします。もう 1 つの柱である記念式典は、 11 月 21 日 ( 月 ) に神戸文化ホール大ホールで行うことになりましたが、内容について、実行委員長の萩原会長から、現役と卒業生とがコラボする演奏会・公演会のようなものをやってはどうかという提案があり、その方向で企画することになりました。 |



|
式典・記念公演当日、開式前に昭和 40 年代の御影高校の様子の映像や最新の学校紹介 DVD の映像が流される中、多くの来賓の方も来られ、第 1 部式典が開式、放送部が司会を務め、来賓の大西孝県教育長や 10 回生矢田立郎神戸市長などから祝辞をいただき、厳粛なムードの中にもスムーズに終了しました。休憩時間には放送部のラジオドラマが流され、その後第 2 部の開演、司会は 11 回生の石川益光氏とミッシー (70 周年のキャラクター ) 、オープニングは応援部の演技、続いて 3 年生の福田さんのバイオリン演奏、 43 回生権藤毅・英美子夫妻の社交ダンス、演劇部による寸劇、 3 年生の久保さん、中條さんの吹奏楽部の演奏に合わせてのタップダンス、続いての吹奏楽部の演奏では 4 回生高井達雄氏の飛び入り指揮での「アトム」の演奏もありました。ヴィッセル神戸監督の 35 回生和田昌裕氏からのビデオレターの後、 10 回生大森重志氏がリーダーのロイヤルフラッシュジャズバンドの演奏、そしてフィナーレはロイヤルフラッシュジャズバンドと吹奏楽部のコラボ「聖者の行進」、ここまでの出演者も舞台上に出て、観客と一体となり盛り上がった第 2 部が終わりました。終演後、多くの方々から好評のお言葉をいただきました。 |
 |
鉄腕アトムの作曲者
4回生 高井氏 |
 |
10回生 大森重志氏と
ロイヤルフラッシュジャズバンド |
|
|
フィナレー |
目次へ |
|
|
一昨年、 42 年にわたる外務省生活を終えてやっと白由の身になれたと喜んでいたら、去年 7 月はからずも東宮大夫として皇太子ご一家にお仕えすることになりました。
振り返って長かった外務省生活の中で最も思い出に残っているのは約 20 年前の冷戦終結とソ連邦崩壊を体験したことです。
今世界がかかえる多くの問題からその頃から由来するいとを考えればこれを経験したことは一生の思い出でした。
外務省に入ってはロシア語を専門にするように言われた者にとってはなおさらであります。
今の世界は混乱していますがこのことはしっかりした価値体系を守っていくことの重要性を示していると思う昨今です。
今回は、皇太子ご一家のお世話をする宮内庁東宮大夫職に就任した、小町恭士さんをご紹介しました。就任会見でも、「日本の将来にとり大変な立場になられる方、ご一家にお仕えする事になった。出来る限りのことをしたい」と抱負を述べられ各新聞でも紹介されております。同窓生として、活躍の情報が聞こえてくるのは本当にうれしい事ですね。清明会としても応援していきたいと思います。
Profile |
1946 年 |
岐阜県生まれ。御影高校 京都大学法学部を経て |
1969 年 |
外務省へ入省。在ソ連大使館、在米大使館、在英大使館勤務、などを経て欧州局長、官房長を歴任 |
2004 年〜
2007 年 |
オランダ大使 |
2008 年〜
2010 年 |
タイ大使 |
2011 年 |
東宮大夫に発令 |
目次へ |
|
御影から J1 リーグ監督へ
サッカーをやった人ならみんなもつ夢とあこがれを
天賦の素質と強運と真摯な努力で実現したナイスガイ
ヴィッセル神戸監督 和田昌裕君 (35 回生 ) 年代記 |
|
|
・御影高校時代
昭和 55 年御影高校 35 回生として入学した和田君たちを壇上から激励したのは、体育課出身の第 14 代福井裕校長であった。半分近くは、高校からサッカーを始めたというメンバーのチームながら、吉井宏一郎先生、森田哲也先生の自由闊達な指導のもとに、 2 年の夏には和田君を中心にして、永島選手を擁する御影工業と県大会決勝を戦うまでになっていた。後に、大手筋決戦とよばれ、数年に亘ったこの二校の県サッカー代表決定戦は、ここに始まった。終業式前の行事予定を変更し、全校を挙げて和田岬の球技場に応援に行った時の高揚感を忘れることはできない。この時の神奈川インターハイにも、次の年の鹿児島にもわが御影チームは出場を果たし、御影の名を全国に知らしめてくれた。さらに和田君は 2 年のときには全日本 U( アンダー )16 チームのキャプテンとしてシンガポールでのアジア選手権に参加し、 3 年では赤松君と二人兵庫チームの一員として島根国体に出場し、その優勝に大いに貢献した。
和田君の御影高校でのハイライトは、しかし、なんといっても高校サッカーの甲子園、東京で正月に開催される全国高校サッカー選手権である。 3 年生の最後に堂々とその出場権を獲得し、サッカー部 OB の方々を狂喜させた。さっそく応援のため清明会の組織も活性化され、この方々がのちの同窓会活動の基盤も支えてくれることになった。予備抽選で 1 番くじを引き当てた彼は、全国観戦者の前での選手宣誓と、その 1 番くじで決めた、なんと顧問の森川先生の母校、韮崎高校との対戦にのぞむことになったが、どちらもみごとにその役割をはたした。
この準優勝をした強豪チームから、なんとか 1 点をうばい、零敗にはならなかったのである。和田君が御影で活躍していたときの、他の運動部や文化部の活動の活性化も半端でなく、格技場や体育施設の充実もともなって、四校訓の後半「正しく」「強く」を実感として感じることができた。この年のサッカー部の活躍や、男子バレー部、ラグビー部県大会優勝などが評価され、御影高校と体育主任の榎本龍宏先生が全国学校体育研究会から表彰されている。
 |
昭和57年度
第61回全国高校サッカー選手権大会 |
 |
(写真提供・35回生 阿部裕之氏) |
・順天堂大学時代
御影を卒業後、和田君は蘭方医松本良順の創設した順天堂大に進学しサッカー部で活躍した。市立舟橋高校で教育実習もおえて教職につく準備も済ましていたが、浦和の三菱重工と、大阪の松下電器からうちでサッカーを続けないかというオファーを受け、一も二もなく、関西の松下電器に就職したのは、昭和 62 年 (1987 年 ) のことであった。なお、高校時代のよきライバルであった御影工業の永島昭浩選手もすでにこのチームでプレーしており、こののちチームの二枚看板として行動を共にしていくことになる。
・松下電器サッカー部時代
4 年後の 25 才の時には中国で行われたアジアンマッチに、日本代表に選ばれて参加し活躍している。上野中学時代からの知り合いであった奥さんと結婚し、いま、大学のサッカー部で活擢しているご長男を授かってプレーにも巾ができた時代である、
・ガンバ大阪時代
平成 4 年 (1992 年 ) にいよいよプロサッカーの J リーグが発足することになり、松下電器もその 10 チームのなかにガンバ大阪として参戦することになったとき、和田君は迷うことなくプロ契約を結ぶことを決心する。次の年 5 月に行われた J リーグ開幕の第 1 試合は「ガンバ大阪」と「浦和レッズ」、 NHK が放映していた J リーグ最初の試合で初得点を挙げチームを初勝利に導いたのは我らが和田選手であった。
・ヴィッセル神戸時代
平成 7 年 (1995 年 )1 月の阪神淡路大震災は、多くの人に大きな影響を与えたが、和田君にとってもそうで、被災したふるさと神戸を少しでも元気づけたいとまだ J リーグに入っていなかったヴィッセルに永島選手とともに移籍し、見事神戸をリーグに昇格させた。
平成 11 年 (1999 年 ) 選手からフロントにかわって、サッカースクールの世話や選手強化部長、中学生チームの育成とヴィッセルを基礎から強化する仕事に精をだしていたが、おととしの外国人監督の突然の退団、去年の J2 降格の危機のときに、このチームの一人一人の状況が一番よくわかり、このチームの底力を引き出せるのはお前しかいないと社長やオーナーに頼まれ、やむなく、監督を引き受けた。
「毎日が恐怖の世界ですよ。」とさりげなくいうが、試合に出れない選手にもいい監督だなと思われたい、というような言葉は、ほんとに、チームと同化していなければいえることではないですよ。
サッカーをめざす 3 人の男の子と、中学生の女の子のパパであり、心から信頼している奥さんから「チームが得点したときのあんな嬉しそうな顔は家では見たことない。」といわれている。
以上の和田昌裕監督の紹介文は、同じ 35 同生の道谷卓君といっしょに談話を聞いた 19 回生で 35 回生の学年団のひとりでもあった寺岡一夫がまとめたもので、文責はわたしにあります。
和田君は「サッカー部の活躍は、ちょっと御影のおとなしい雰囲気を変えられたんちゃいますか。」と語ってくれましたが、私にとっては「おれらでも、やればできるんや。」というもっと深いところでの意識革命をさせてもらえたと思っています。少なくとも等々力競技場できいた御影の応援歌は、私の中で今もなり続けています。
( 文貞寺岡 )
今回のさわやかインタビューは、「兵庫県立御影高等学校 70 年史」の「清明会のあゆみ」ページから転載しました。
目次へ |
|
平成23年度 清明会総会 懇親会・第7回ホームカミングディ
|
平成 23 年の総会 6 月 5 ( 日 ) 午前 11 時から、生田神社会館におきまして、清明会総会と第 8 回ホームカミングデイ ( 高校 20 ・ 21 ・ 22 回、定時制 13 ・ 14 ・ 15 回生、高校 50 ・ 51 ・ 52 回生を招待し ) を開催いたし、会場がいっぱいになるぐらいのたくさんの 200 名方々が集って頂きありがとうございました。
総会後は、恩師をはじめ、多くの同窓生が楽しい一時を過ごしていただけますよう企画を立て、恩師も一緒になって同窓生と共に交流を楽しんで、頂きました。 |

総会では、萩原会長、松田学校長先生と挨拶を行い、 10 回生矢田市長は、来賓代表としてご挨拶して頂きました。その後、会務報告を萩原会長が報告しました。
矢田立郎 (10 回 ) 神戸市長より 「書」の購呈
総会終了後、参加全員にて記念撮影!
皆さまの健康と御影高校・清明会の発展を祝って乾杯!!
ホームカミングディでは、 ( 高校 20 ・ 21 ・ 22 回生、定時制 13 ・ 14 ・ 15 回生、高校 50 ・ 51 ・ 52 回生を招待 ) が招待されました。

県三1回生

県三

高校21回生

高校20回生

高校22回生

高校50回生

高校51回生

PTAの皆様
恩師、クラスメートとの再会!

さぁー!恒例のビンゴゲームです。参加者全員が注目!!

県三1回生
秋葉節子さん |

恩師
横田 覚 先生 |
|

横尾副会長
10回生
|

有馬副会長
14回生 |

柳本チームリーダー
26回生
|

懐かしの校歌を全員で歌いました。
|
総会・ホームカミングディの最後は、参加者全員で御影高校のより一層の発展を祈って終わりました。たくさん方々が参加して頂きました。ありがとうございました。
|
目次へ |
御影高校からのお知らせ |
文化祭について |

今年は校史資料室 ,2 階の 1 教室の 2 箇所開催を予定していましたが、資料室は使用出来ず例年のアルバム展示も 2 階に変更しました。今年は池田説子幹事、行永先輩親子による展示、 21 回生で東京芸大出身の住谷重光先生の絵画 2 枚(美術部展示スペースに 3 枚)展示、総会で横田先生より頂戴しました書と絵画展示、その他、新企画の写真展示と教室 4 面、センター部分のアルバム展示と中身の濃い展示になり、来客も多く見学者の滞留時間も長かったように思います。
なお 6 月 18 日の文化祭当日、住谷先生が神奈川県の大磯より来校頂き、本校生徒の美術部部長、部員と歓談されたことを併せご報告させて頂きます。
先生の絵画 5 枚は同窓会に寄付頂き、保管しております。池田幹事はじめ前日の 17 日の展示準備、当日のお世話をしていただきました皆々様には感謝しております。有難うございました。この委員会を中心に現在内容を検討中です。 4 月から、原稿作成を始める予定です。文化祭チームリーダー 40 回生大塚康弘
|
目次へ |
|
資料コーナー |
卒業生からご寄付頂いた資料を順次紹介するコーナー、今回は恩師や卒業生 4 名を紹介致します。
神戸高校の永田實先生のご紹介で、 5 月に住谷重光氏 (21 回生 ) から「白馬風景」をはじめ計 5 点、 10 月に中井真人氏 (17 回生 ) から「御影公会堂」「石屋川」の計 2 点、合計 7 点寄贈していただきました。 同窓会校内幹事 西尾嘉尉
|

左:湖水 右:湖水 白馬風景 |
■〈住谷重光氏〉の略歴
1950 年生まれ、成徳小学校・鷹匠中学校・御影高等学校から、東京芸術大学油画卒業後、関東を中心に活躍され、昨年は東京銀座・横浜元町・大磯で個展を開催されました。
|

左:石屋川 右:御影公会堂
|
■〈中井真人氏〉の略歴
1947 年生まれ、摩耶小学校・上野中学校・御影高等学校から、神戸大学教育学部美術科卒業後、神戸市立中学の美術教諭を長年され、定年後は展覧会など開催されています。
|
|
■神戸市長・矢田立郎氏 ( 高 10 回生 ) から、書と葉書が届きました。
謹啓
同窓会から依頼されました“書”に記した”井底の蛙 ( せいていのあ ) “ですが、広い視野で物事を考え世界に雄飛してほしいとの思いで創りましたのでよろしくお伝え下さい。
謹白
書は応接室に飾られている。
|
|
■土井たか子さん ( 元衆議院議長、県三1 回生 ) より色紙を寄贈
|
|
■恩師西本珠夫先生より寄贈 |
|
|
目次へ |
道谷 卓氏( 35 回生)を母校に迎えて
(姫路獨協大学法学部長兼教授)
文
:御影高校教諭 西尾嘉尉( 28 回生)
|
|
本校の「グローバルスタディ、経済・法学セミナー」 ( 総合人文コース 1 〜 3 年生対象 ) 講座で、特別非常勤講師として、道谷卓氏を母校に迎えて講座を開講しました。 9 月 5 日 ( 月 )5 時間目・ 6 時間目 (2 時間連続講座 ) の一回のみの開講になりましたが、大好評のうちに終了しました。担当者としても嬉しいかぎりです。以下、生徒の感想を紹介して、道谷氏への謝辞にしたいと思います。
〈生徒の感想・代表例〉
「 2 学期に入って初めて法学をやったのですごく楽しみにしていました。その時が最初で最後で、しかも本格的な姫路獨協大学法学部長である道谷卓氏が講義するということだったので、いつも以上にはりきっていました。テーマは『刑法』で、僕が興味ある分野を身近な例をあげ、分かりやすく説明されたので、これまで以上に法学に興味を持つようになりました」 ( 男子 )
「私はずっと法学の道に進みたいと考えていたので、道谷先生の話が聞けてよかった。私は今まで法律があって、それから細かいマナー的なものがあるのだと考えていたけど、『法律は道徳の一部でしかない』ということを聞いて法律のとらえ方が変わった気がする。また法を解釈するのも一つ一つの定義を考えて行けば、奥の深さが分かったようなきがする」(女子)
目次へ
|
|
貴重な資料が眠っていませんか? |
御影高校 ( 同窓会・清明会 ) の校史資料室を開設しております。昔の教科書、同窓会新聞、会報、その他何でも結構です。ご寄付頂ける(コピーさせて頂くだけでも結構です ) 物がございましたら清明会事務局へご一報下さい。資料室に大切に保管・展示致します。
目次へ |
お祝い金について |
学年会、クラス会等の開催お祝い金支給制度を作っております。年一度に限り、事前に申請書を提示していただき、集合写真、最新名簿および簡単(原稿用紙半分程度 ) なレポートを提出していただければ、お祝い金を支給致します。詳しくは清明会事務局へお問い合わせ下さい。
目次へ
|
文化祭について |
毎年 6 月に母校で文化祭が行われます。清明会も同窓生の活躍などを紹介した展示ブースを設けております。是非、ご来場下さい。過去、各回生の卒業写真など展示しております。詳細日程は、御影高校ホームページをご覧下さい。
目次へ |
募金のお願い |
平素より清明会にご支援、ご協力を頂き有難うございます。お陰さまで、皆様方の善意の募金により総会参加者の増大、クラス会、学年会開催が活発になっております。 これらには皆様方からの貴重な募金を使用させて頂いております。毎年、皆様方にご協力をお願いしておりますが本年もご協力下さいますようお願い申し上げます。募金は一口 1,000 円で三口以上をお願いしておりますが、口数はいくらでも結構です。
振込先郵便振替口座
加入者名兵庫県立御影高等学校同窓会清明会
ロ座番号01110-3-19306
※ 出来ればATMでのお振込みをお願い致します。 |
目次へ
|
清明会からのお知らせ |
★第9回ホームカミングディについて★ |
平成 24 年の清明会総会 (6 月 10 日 ) では、第 9 回ホームカミングディを併せて開催いたします。今年は、高校 23 ・ 24 ・ 25 回生、定時制 16 ・ 17 ・ 18 回生、高校 53 ・ 54 ・ 55 回生、県三関係者、を対象とさせて頂きます。
第 9 回ホームカミングデイにあたり対象卒業生の恩師をご招待致します。上記対象の卒業生も勿論、無料ご招待させて頂きます。 目次へ
|
★生徒活動後援会、ご協力のお願い★ |
本校では、 PTA 、清明会、松影会が協力して、課外活動を経済的に支援し、生徒活動の発展に寄与しております。
平成 23 年度は、環境科学部生物班、囲碁将棋部が、全国大会に出場し、天文科学部は長年の活動が認められ、全国大会で表彰されました。
近畿大会には山岳部 ( 女子 ) 、陸上競技部、卓球部が出場しました。また、猛暑の中、少しでもよい学習環境を整えるために、各教室に壁掛け式の扇風機を設置し、クラブ活動をするうえで、古くなり使用できなくなった用具の買い替えもいたしました。 卒業生のご浄財により、生徒活動後援会を支援していただくようお願い申し上げます。
1 口 1,000 円 ( 何口でも可 )
郵便振替口座
加入者名 兵庫県立御影高等学校生徒活動後援会
口座番号 01180-5-56030
なお、振替用紙通信欄に ( 回生 ) を必ずご記入下さい。
※清明会への振込用紙ではなく、生徒活動後援会の専用振込用紙にてお願い致します。 |
目次へ |
|
★事務局からのお願い★ |
同窓会報「清明」郵送費納入のお願い
諸兄姉には、益々のご清祥のこととお慶び申し上げます。日頃より、同窓会活動につきましては、ご理解とご協力をいただき誠に有難うございます。さて母校と皆さまを結ぶものとして、毎年 1 回発行の同窓会報「清明」がございますが、高校 43 回生からは全員に、それ以前の方には郵送費納入の場合のみ発送させていただいております。
お蔭様で年々購読を希望される方が増加しております。郵送費未納の回生の方 ( 高校 42 回以前の方 ) は事情をご賢察のうえ、同封の振込用紙により 2,000 円 ( 来年度より 10 年間分〉の納入をお願い申し上げます。 ( 尚、振込票兼受領証を領収証にかえさせていただきます ) ・同窓生の皆様、ご住所やお電謡番号を変更なさいましたら事務局へ連絡をお願い致します。事務局への連絡は、電話、 FAX 、 E-mail いずれでも結構です。事務局は、毎週火曜日 ( 祝日除く ) の午前 10 時〜午後 4 時まで事務を行っております。 (FAX 、留守電は 24 時間対応です ) 事務局からのお知らせは、清明会ホームページにも掲載しておりますのでご覧下さい。
(E-mail:seimeikai@hyogo.email.ne.jp)
URL http://www.seimeikai.com
目次へ
|
|
★
編集後記
★ |
今回は達人に外務省出身の小町恭士さん (16 回生 ) をご紹介致しました。
又、文化祭には、土井たか子さん ( 元衆議院議長 )( 県三、 1 回生 ) 扇千景さん ( 元参議院議長 )( 併中 ) の資料を展示し、資料室に寄贈として保管致しますので文化祭に多数のご参加をお願い致します。
今後も HP 、広報誌面で皆様のご協力を戴き、フレッシュなニュースをお届け致しますのでご愛読下さい。 |
(深田勝美 3回生) |
昨年は幾人かの同窓生からご子息やご令嬢が無事に御影高校に入学できたという声をお聞きし、中には 3 代に亘る方もおられます。高校生の子を持つ年齢になったのかと思いを巡らせると同時に、同窓生の問でも 70 周年記念行事やキャラクターのミッシーのことが話題になり、清明の活動を通じて世代を連結してゆくことの大切さを改めて実感しております。今号の清明でも様々な情報が発信されていますので、同窓生の皆様の輪が広がる一助になることを期待しております。 |
(小林進 39回生) |
今年の会報誌「清明」はいかがでしたか。昨年、母校は 70 周年を迎え、記念式典の公演の部では、様々な分野で活躍する清明会員と現役高校生とのすばらしいコラボが実現できました。今回の会報誌では、会員の皆様にその様子を伝えるべく特集ページを組み、また、記念誌に掲載した J1 のヴィッセル神戸・和田監督のインタビュー記事も転載しました。
今後はきたる清明会 70 周年に向け、会報誌の編集を行っていきたいと思います。 |
編集委員長 (道谷 卓 35回生) |
目次へ |
|
|
|